「決められない」を卒業した私

今年もあと2ヶ月!となりました。

毎年この時期になると、1年を振り返りながら残り2ヶ月で「できること」を考えます。特に起業してからのここ数年は、年始に立てた目標に対しての「結果」と、そこに対して2ヶ月でできることを再度振り返るタイミングでもあります。

気持ちとしては・・・「まだ終わりではない!」という感じです(笑)。

何が終わりではないかというと・・・事業の実績ややると決めたことに対してできていないことがあるとすれば、それはだいたいにおいてなんらかの理由があったりするので、ひっかかっている原因を見て「今できることはする!」ということです。

そして最近特に思うのは、この数年で起きている自分の「意識の変化」です。よく思うんですね、過去のは

いかに「決められない私」だったか!と。

そう、何を隠そう私はと〜〜〜〜っても!!優柔不断な人間でした。

このブログでも何度か書いているのですが、何を決めるにも「迷っている」状態が継続中だったのです。期限などがあって(だいたい期限ギリギリまで考えているのですが)、仕方なく行動はしていても

気持ちが決まっていない

のです。

いつも、別の選択肢を捨てきれず、「どうしよう、決めちゃっていいのかな・・・」という感じで動いていました。

そして今振り返るととても違和感なのですが、そんな自分の「曖昧さ」を正当化しちゃってる自分もいました。

「曖昧さ」の正体とは

「白黒思考」という言葉を聞いたことがありますよね。なんでも正解・不正解とか、良い・悪いで判断してしまう思考のことです。別名「短絡思考」でもあり、「極端思考」でもあります。

この思考をもってしまっていると、ものごとを深く洞察することができなくなり、また断定的で決めつけることにもなるので、ゼロか100か、という感じでそれ以外の可能性や価値を見ないことにつながります。

つまり、多角的な視点とか柔軟性とは真逆になってしまうので、心理的には「厳しい」あり方であり考え方となるわけです。

私は以前、「成熟した思考とは、グレーを受け入れられること」という言葉を何かの本で目にしたことがあり、自分の中の曖昧な部分を、白黒思考とは反対の「いろいろな可能性を見ている成熟した要素」だと思い込んでいた節があったように思います。

これですね、今思うと笑っちゃうくらいこじつけなんですよね。

なぜなら、今ならわかるのですが、

「曖昧で優柔不断である」ことと「白黒思考」は、実はとっても相関関係があるからなんです。

過去の私を振り返り、いつも曖昧にして心が決めきれていなかった理由を思い起こしてみると・・・

  • 損したくない
  • 失敗したくない
  • 傷つきたくない・傷つけたくない
  • できない自分を見たくない

これらがいつも心にあって、「決めない」状態を選んでいたんだってわかります。

そしてですね、これらはすべて心の底にある怖れが原因なのですが、その怖れがどこからきているかというと・・・

  • 損したら何かを失う
  • 失敗したら人から見下される
  • 傷ついたり傷つけたりしたら立ち直れなくなる
  • できない自分はダメな自分

という、まさに白黒思考、ゼロ100思考を心の奥底では信じていたからなんです。

「決める」から「どれも正解」にできる

今の私なら、過去の自分に言ってあげたいのです。

「いやいや!その時損したって必ず代わりに何かを得てるし、学んでいるから。失敗しないと本物の成功なんてあり得ないし、そんなんで傷つく自分ならそんな自分はいっかいコテンパンに傷ついた方がいいんだって!大丈夫、死にはしないから。できない自分こそ、『のびしろ』だし、可能性のある可愛い自分なんだよ」

決められない時間を長く過ごした私の人生、「その結果なんだな」と思うことはたくさんあります。

私の場合、行動はしているように見えていたと思うのですが、心が決まっていない状態だったために、何かで突き抜けるとか、大切な人との関係を深めるとか、できないままだったことは今になって妙に納得してしまったり。

そしてですね、先程のグレー、つまり曖昧さを受け入れることは成熟の証、という考えなのですが、これはズバリ、

決められる人である

ということが前提のお話なんですよね。

つまり、いろいろな選択肢を見ることができて、それらに対して良い・悪いをひとつの基準で決めつけないこと。

世の中にはたくさんの異なる考え方があるということも認めた上で、私は何を選ぶのか

それがバシッと決まる人は、自分の選択に納得ができているだけでなく、人の選択が自分と違ったとしても認めることもできるんです。

なぜなら、正解はひとつではない、と知っているからです。

そして、決めるからどんな選択も「正解」にすることができるし、逆に言えば決めなければどれも「違ってた」となる可能性は高いということ

もちろんそこには、決断による行動と責任だってついてくるから、それを引き受けるだけのメンタルで進む必要だってあるわけです。

これらを心の中で理解して認めることができないから、あっちの方がいいかな、こうなったらどうしよう、と不安が大きくなるだけでなく、何かあった時に人のせいにしたり、環境のせいにしたりするんです。

はい、すべて過去の自分の気持ちを再現して書いていますので、もしも読んでいるあなたに「あてはまってる!」と思ったとしても、あなたのことを責めているわけではないです😉

まとめ

最後に、決めないこと=曖昧でいることで起こる弊害とはなにか、書きますね。

  1. 時間のロス → 決められない間にタイミングを逃す。
  2. 信頼の低下 → 覚悟がない人は真剣でエネルギーの高い人から信頼されません。
  3. エネルギーの消耗 → 迷いの思考が多くなり、行動力が落ち、成果も曖昧なものに。

私自身が長くこの状態できたこともあり、そしてここ最近事業を始めたことや、クライアント様たちの成果も見ていく必要があることもあって、「決める」ということの重要さについてものすごく実感しています。

「決める」とは、言い方を変えれば覚悟であり、逃げ道を断つことです。

でもそれは、自分を窮地に追いやるとか、スパルタ的な思考で痛めつけるということでは必ずしもなくて(本気で成果を出す人はあえてスパルタ思考で自分を奮起させることもありますが)、

たくさんの選択肢の中から決める、選び取ることで無駄なエネルギーの分散を止めることになるし、迷いを断つことで行動に集中する時間をつくることでもあるわけです。

そして何より、そうやってどんな理由であっても、なんなら直感で決めたものでも

私が決めたことだから後悔はしない!

と自分を信じて行動することで、自己信頼が高まって自信にもつながります。もちろん、結果にもつながりますね!

決められるようになった私は行動のスピードが加速しているように思います。

決めることで、人生の選択をすべて正解にする。そんな生き方をしていきたいと思っています🥰

自分に目覚め、「最高の人生を生きる」
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