私はよく、日本語と英語のコミュニケーションの違いとして、
日本語はインプット主体、つまり、受け取る側がどう解釈するか?に主軸を置くコミュニケーションで、
それに対して英語の場合はアウトプット主体、話す側がどう伝えるか?に主軸をおくコミュニケーション、
と説明します。
これは、日本語を話す時によく起こることとして、
「あの人はこの言葉をどういう意味で言ったんだろう?」というような疑問が湧くことがあったりするのに対して
英語の場合にはほとんどそれが起こらない、という自分の体験から気づいたことに根ざしています。
たとえば、隣の家に小さな子供や犬などがいたとして、時々「うるさいな・・・」と思うことがあったとします。
そんな時、隣の人にばったりあって、そこにうるさいと思ってしまう騒音の主であるお子さんやワンちゃんがいたとして、
「いつも元気ですね〜!」という言葉が出てきたとしますね。
はい、私もこのような騒音にちょっとだけ悩んでいた時があるので、これ言ったとしたら内心は少し「コノヤロ!」的な気持ちもあって言っているかもしれません(笑)。
ただですね、私の場合は、そこで
「実はお宅のお子さん(ワンちゃん)の騒音に悩んでいるんです。少し気をつけていただけませんか?」
と自分が伝えたわけではないので、「いつも元気ですね〜!」という言葉からだけで相手が
「もしかしたらうちの子、うるさくて迷惑かけているのかしら?」とか
「今のって、嫌味なのかしら?」とか
相手が思うことを『想定』はしていないんです。
あくまでも、自分が放った言葉は「元気ですね!」というシンプルな内容なので、たとえ内心は「コノヤロ!」という気持ちがひとかけらあったとしても、
そこは自分の内側の問題なので、言葉上においては、別にそれで相手に気づかせようとまでは思っていないし、思っていたら、もう少しハッキリ伝えるんですね。
そして、例えば隣の奥さんである女性がとても敏感なタイプで、私の言葉から先ほどのような『勘ぐり』をしたとしても、私としてはそこまでの意図は本当にないので
「あんな嫌味を言うなんて、なんて陰湿で意地悪な人!」と受け取られたとしても・・・
それはそれで相手の受け取り方の問題なので、仕方ないなぁ、としか思わないです。
そして、もしも万が一、そのような私の言葉に傷ついたとか、それならそれでもっとハッキリ言ってくれればいいじゃない!のようなことを言われることがある場合には(通常こういう状況ではそれも伝えないからこじれるんですけどね・・・)
「私はそのような意図では言っていませんでした」とケロっとして答えると思うんですね。
だって、本当に、もしも何かしら気づいて欲しいならば、直接伝えるか、あるいは管理会社に苦情を伝えるなど、相応の行動に出るからなんです。実際、管理会社に相談したことはあります😅
このような点で、時々感じるのが、私の感覚って少し外国人ぽいんだろうな〜、ということ。
なぜなら、私は上記のような状況では言葉の裏を読むことはなく、言葉をただそのままに受け取るという思考が働くのですが、私の母や妹など含め、日本の友人や知人などの多くが、そうは考えないようだからです。
そして、母や妹などからはよく言われるんです。
「言葉に気をつけて」
「相手がどう受け取るか考えてから言葉を言って」
「無邪気に言葉を発しないで」
などなど・・・・。
そして、このようなことを言われるたびに私は本気で「わからない!!!」となって、頭を抱えてしまうことが多いのです💧
言葉の裏を読まないことの大切さ
ここで先ほどの、英語の場合なのですが、英語の場合は上記のような頭を抱えて悩むようなことが起きないので、私にとっては日本語の世界よりラクな部分なのです。
もちろん、英語の場合であっても、言いにくいこと、伝えづらいことってあるし、上記のようなビミョ〜な状況ってあります。
ですが、日本語の場合と決定的に違うのが、
言葉で伝えないのであれば、それがすべて。それ以上でもそれ以下でもない。
ということ。
だから、「今日もお子さんお元気ですね〜!」と先ほどの状況で言ったならば、
たとえそれが内心は「いつもウルサイんだよ!ちょっとは静かにしてくれ・・・!」と思っていたとしても、
それを言葉で伝えていない時点で、何も伝えていないのと同じ、という考え方なんです。
そして、英語コミュニケーションの場合には、相手の方も、こちらがどんなに、例えば表情などでは目が笑っていないとか、本心を言葉以外で伝えていたとしても(ここ重要!)
「そうなのよ〜、もう元気が良すぎて困っちゃうくらい!でも、元気がいいのはいいことでしょう?!アハハ!」
なんてあっけらか〜ん!と返ってくることが大半で、そこでまた
「もしかして、騒音でご迷惑かけてたりするかしら?」なんて言葉は期待できないというか、期待してはダメ!なんですね。
なぜなら、言葉で伝えていないから!です。
そして、このように英語、または海外の特に欧米の世界では、言葉のコミュニケーションにおいては同様のことが言えると思うので、
言葉を発する側が、何を伝えるか?がすべて
と言う点で日本のコミュニケーションと大きく違うなぁ!と思ったりするのです。
そしてこれはですね、伝えない限りは理解してもらえない、というのと同時に、逆に言えば・・・
言葉を変に勘繰られたり、意図とは違う方向で解釈されるリスクも少ない
ということになるので、私の個人的感覚では日本語の世界よりもラクだったりします。
もちろんこの時、普段から言葉でのアウトプットに慣れて、「しっかり言葉で伝える」ということは前提になります。
だから、当然普段から、思っていることで伝える必要があることは伝えることをやっていくし、逆に誤解が生じたならば、その場で対処して修正する、ということも日々起こることになります。
ですが、これをやらずして、最小限の言葉で汲み取ってもらう日本語でのコミュニケーションに慣れてしまっていると、すべてを言葉にしないと伝わらないというのは大変に感じるかもしれません。
私は個人的に、言葉の裏を読み合う状況が苦手で、苦痛にすら感じます。
これを、汲み取り力とか状況理解力、空気を読む力が足りない!と言われたらそれまでなのですが・・・
でも、そのような汲み取り力って、往々にして事実とは違う方向にどんどん行ってしまいかねないとも思ったりします。
言葉の裏を読まない。
相手の言葉をそのままに受け取って、わからなければ尋ねる。
そして、最も大切なこととして、自分自身の言葉に対して誠実であること。
思ってもいないことは言わないし、できるだけ自分の気持ちと考えに言葉を近づけていく努力をする
これが大切だと思っていますし、これがお互いにできた方がコミュニケーションとして気持ちがいい!と思うのですが、皆さんはいかがでしょうか?
まとめ
さて、今日の内容も、私がお伝えしている『マインドフルコミュニケーション』のベースになっているところでもあります。
マインドフルコミュニケーションとは、素直で正直な自分をまずつくり、そこから言葉を誠実に発していくコミュニケーションになります。
自分が言葉に忠実になると、相手の言葉もそのように受け取りたいという感覚になるので、相手の言葉の裏を読んだりすることも少なくなります。
なぜなら、言葉がコミュニケーションの第一ツールであるということが体感でわかるので、勘ぐったりすることがもう、できなくなるのですね。
相手の意図がわからないときは、尋ねればいいのです。
日本語の繊細でお互いを察し合う文化の素晴らしさもありますが、その反面、言葉をそのままに受け取らないことが癖になって、受け取った側がぐるぐると考えていることって、日本ではよくあるように思います。
その結果、誤解が誤解を生むことって少なくないように思うのですが、皆さんはどう思われますか?
言葉をハートに近づけて、ハートからコミュニケーションする。
ぜひ意識してみてください🌹