受け取る器の大きさはあなたの人間力

昨日は私の誕生日でした♪

実は、11年前の同じ日に、しかも、私にとっても同じ「0」がつく年齢の節目に生まれたのが甥っ子でして。

以来、それまでは私の誕生日を忘れがちだった妹も必ず!祝ってくれるようになり😅

昨日も妹夫婦宅でお祝いしてもらっていました🎉

完全に便乗スタイルですが・・・!!!😊

そして、妹家族との楽しい時間とともに、もう何十年レベルのおつきあいになる友人たちや、イタリアで出会った心の友、最近知り合って仲良くさせて頂いている方、いとこ、そして過去に恋愛関係にあった、今でも大好きだけどもうずーっと会っていないカナダにいる男友達から・・・お祝いのメッセージを頂きました💜

温かくて嬉しくて、感謝の気持ちでいっぱいの誕生日でした。

私をこの世に生み出してくれた祖父母や父母はもちろん、今日まで支えてくれた人たちがあっての自分だということを、年々誕生日という日には感じることが多いです・・・。

もう、年齢はどーでもいいのです(笑)

そう、誕生日は、生きている年数が長くなるほど

どれだけの人たちに支えられてここまで生きてこられたか、を思い出して感謝する日

になるのではないかな、と思っています。

なので、私が現在ビジネスを学ばせて頂いている男性もそうでしたが

「誕生日にはしてもらう、ではなく逆プレゼントをする」

と宣言している人もいますね。

私はその点、「お誕生日だけは自分のための日にしたい」派かもしれません。

ちょっと女子的なのかな、やっぱり!

いずれにしても、自分という人間が誕生したということについて、いやでも向き合う日ということになります。

さて、今日は人としての器の話です。

人としての器=人間力だとすると、この器の大きさをどれだけ大きくしていけるか?が生きる中で得られる成長です。

そして、これが大きくなるほど、愛も、お金も、たくさんの情報や物質も、豊かさとして巡っていくことになります。

で、この器を大きくするために必要なことは何か?というと・・・

一言で言うなら、

損した!奪われた!!傷ついた!!!という経験をたくさんすること

です😊

理由は、これをたくさんすることで、はじめてきれいごとではなく体感で

私は何も奪われていないし、すでに豊かなんだ

ということに気づけるからです。

ちょっと荒療治的ではありますが・・・器の小さい人が大きくなるためには、これが最も手っ取り早いと私は思っています。

奪われたのではなく、押し広げられた

人には成長の段階というのがあります。

当然、自分の足で立つのもままならないうちというのは、自分のことを確立し守ることに精一杯。

そして、できるだけ要領よく、「損をしたり失敗しない方法でたくさんのものを得られるようになりたい」なんて考えがよぎるのも、この段階の時だったりします。

まだ、自分の本当の力がわかっていないし、だから失敗や傷つくこともできるだけ避けたい。

そこへですね、神さまは試練というかたちで挑戦状を送りつけてきます😱

それはだいたい、絶対に避けたかった人生の展開だったり、場合によってはもう立ち直れないかも・・・なんて思ってしまうくらい、それまであなたが必死に守ろうとしてきたものが失われてしまうような経験としてやってくるんです。

そしてですね、この時にそこまでして守りたかったものというのは、最終的には「手放す」ことであなたの器が広がるということが起きます。

ここで大切なことは、「諦める」のではなく、自ら「手放す」ということ。

つまり、被害者的な立場を選ばないということです。

誰かから奪われた、傷つけられた、ものすごく損をした。。。。

誰だって避けたいですよね。

ですが、経験された方は多いのではないでしょうか。

その渦中にあるときはもう、感情が入り乱れてパニックになり、こと次第では修羅場とか・・・感情的にも状況的にも苦しくて、生きる気力すら湧かなくなってしまう事態になってしまうこともあるかもしれません。

ここで大切なことは、時間がかかっても、そのことをどのようにして自分の中で解釈するのか?ということと、その結果自分という人間をどれだけ以前より大きくできるか?なのです。

この時に、被害者的な意識を選択するのか、それとも、はじめは悔しー!!!という気持ちでいっぱいだったとしても、最終的には

もってけドロボー!!くれてやるわ、そんなもん🙌

くらいの感じで、執着を手放してそれまで抱えてきたものをバーン!と手放すことができるか、でその後の展開が180度変わってくるのです。

私も過去に、裏切られた、利用された、騙された・・・等々と思い込みそうになる出来事を経験しています。

そのたびに毎回、苦しさのあまり自暴自棄になりそうでした。自分を嫌いになってすべて諦めてしまえば、ラクになるように思えたりもしました。

ですが、今振り返って思うことは、あの時、あのことがあったからこそ、私は人としての痛みを知ってそこから再生することで成長できたんだ、ということです。

それはまるで、陶芸のろくろの上で回されている自分が、最初はいびつでボコボコしていたところから、いらないものを削ぎ落とすことで美しく強固な器に変化していくようなイメージ。

奪われたと思っていたものは、実は人生の抗えない大きな力によってならされ、なめらかになる過程として力を加えられていただけだったのです。

だから、奪われたのではなく、私という器が「押し広げられた」経験だったということ。

そしてこの器が押し広げられた結果、その新しい大きさで生きられるようになった時、もう過去のそのことはもちろん、これからも、たとえ同じことが起こってもしなやかにくぐり抜けられる自分がいる。そんな感覚なのです。

実際には、もう必要ないので同じことは起こりませんが!

まとめ

器が大きくなった!なんて実際には感じられないまま、ただ必死に生きていくことになるのですが、それが、「ああ、私はもう過去の自分ではないな」と感じる瞬間というのがやってきます。

それがいつどのタイミングかは人それぞれだけれども、そのように感じるきっかけというのが

たくさんの豊かさがやってきていることに気づき、そしてそれを受け取れている自分に気づく瞬間。

器が大きくなると、そこに入ってくるのはもちろん綺麗で素敵な欲しいものばかりとは限らず、悪いものも混ざってくる確率だって上がるんです。

だからこそ、そういうものが入ってきても動じない自分でいる必要があるということ。

入口を小さくして、「これしか欲しくない、これは入ってこないで!」とかやったり

出口も小さくして、「ここにしか出したくない。絶対に損したくない」とかやっているうちは

あなたの人としての器はまだまだ・・・というと偉そうですが、私もそうだったので言っちゃうと、

ちっさいところで生きている

という段階でしかないのです😉

愛もお金も健康も・・・すべてはエネルギーですので、大きなものが流れてくるということは、それに見合う器=強くてしなやかな人間力が必須ということです!

というわけで、お誕生日だった昨日と今日と、私に流れてきてくれているものをちゃんと受け取っている自分、感謝で胸が震える自分を感じております。

以前は感じられなかったことが、今は感じられる。

それが嬉しいのです。

よくないことが起きたとしても、そこから何を実は得ているのだろう?そんな視点で、今日も人間力を磨いていきましょう🌹




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