自分を超える生き方

私はここ数年、様々な試練というか、チャレンジに向き合っていることに最近改めて気づいたりしています。

思えば、2019年に、派遣で時給がとっても良かったお仕事が契約満了となり、それにあわせて自然と声がかかった正社員のお話に乗っかって応募してみたものの、4つくらい?(正直、忘れてしまった・・・)のポジションにことごとく落とされるという結果に(この会社は紹介であってもすべて規定の応募プロセスに従って通過しなくてはなりません)。正社員の道という、本来は望んでいなかったけれどある意味「楽な」選択肢の可能性は断たれました。

その後やむなく派遣で繋ぐしかなくなり、改めて、自分の事業の準備と両立できそうな派遣のお仕事を探すも、これも決まりそうになると何故かそのポジション自体がなくなってしまうなど、いちいち上手くいかず。

結局、無職の期間が続いてしまったことで差し迫った状態となり、「やりたくない」と思っていたフルタイムの派遣で働くことに。ただし、仕事内容は経験もあって比較的好きだった外国人付の秘書のポジション。

ここでまた、会社でフルタイム、という慣れ親しんだ働き方の誘惑によって、「本当はどうしたいのか?」を試されることになるのです。

この仕事は実は・・・性格と人間性に問題のある人物に付かなくてはならないという、これまたかなり難易度の高い仕事でした(外資系の大きな会社の要職には、意外にも、仕事は出来てもメンタルの状態が健全でない人が結構いたりするのですが、これこそ昇級レースに勝ち抜いてきたことによる後遺症かな?と思うところです)。

そして、私自身もメンタルがやられそうになる寸前のところで、なんとコロナを理由に契約が終了となることに。幸か不幸か・・・・そのポジションからは離れられたものの、またもや経済的には窮地に陥る事態となるのですが、どうにもこうにも、仕事を探す気力が湧かないのです。

そこへ、信じられないタイミングで在宅翻訳のお仕事が!!

しかもなんと、過去に正社員のポジションを受けてダメだった会社様でのお仕事で、親近感も湧いていて、すぐに応募して採用していただけました。

結果、フルタイムと比較すると時間数では半分、給料も半分となるこのお仕事がきっかけとなり、本気で自分の事業を「やらざるを得ない」状況へとどんどん進んでいったことに、今さらながら、不思議な展開を感じています。

まさに、少しずつオフィスでフルタイムという働き方への未練を断ち切り、最終的には完全に退路を断たれることになったのです。

人生の転換期はコンフォートゾーンを超える試練だらけ!

その後、翻訳のお仕事をしながら準備した商品を売り出すところまで進めることができ、幸運なことに初期から契約して頂けるお客様と出会いました。

理論だけで実態が見えなかったサービスコンテンツが、お客様の存在によってはじめて形となってその様相が現れてきます。

そこからはもう、「つねに」失敗と改善の連続であり、やり続けるのか止めるのかの判断を迫られる日々が続いて今に至っています

翻訳のお仕事も、一時期はいくつかかけもちもしていたのですが、時間と金額にすると私にとって生活費の一部にしかならないお仕事でも、発注する先方からしたら当然ながら真剣勝負の仕事。

それに応えるだけの気力や、時間的なやりくりに耐えられず、中途半端に請け負うのは先方にも迷惑がかかると考えたのと、あとは何より自分の事業にとにかく集中したくて、現在は請負っていません。

文字通り、退路が断たれたことで、私のコンフォートゾーン(慣れ親しんだ快適な枠)はさらに外側へと引っ張られることになりました。

毎月の収入に予定が立たなくなり、わかっているのは行動を止めたら成果が出ないということのみ。

現在の私にとり、何よりも優先していることは、サービスを契約してくださっているお客様がどうしたら満足し、望む結果・成果を出せるか、ということ。

そこに注力しながらも、日々の経済状況や安定した未来については不確定要素だらけでな中で、それでもメンタルをいい状態に保つ必要があります。

そしてもちろん、この経験すべてが、のちに自分のサービスに活かされるということは確信しています😉

自分でも、時々、「すごい状態でやってるよな〜!!」と自画自賛したくなるほど・・・

準備ができていない状態で起業したのはなんの自慢にもならないのですが、でも、振り返って思うのは、あのまま派遣でそれなりに快適に、楽しく働いていたら・・・

起業の準備なんて永遠にできなかったことでしょう😅

それくらい、人はコンフォートゾーンから出ることを無意識では避けて生きているということです。

はい、ここでいろいろエラそうなこと書いている私だって、なっかなかできないことなので、こんな風にかなりの手荒さをもって(笑)、強制的にコンフォートゾーンの枠を広げる=自分という器を広げる状態にさせられているのです。

恐怖心を超えたところに見えるもの

人は、守りたいものがある時に恐怖心や不安をもつものです。

愛する人やお金、その他これまで築いてきたものを失いたくない。

それが理由でモチベーションになることもあれば、それで動けなくなる時もたくさんあるはず。

そして、恐らくは人生が大きく転換した人とか、どん底から勢いよく上がった人というのは、だいたいにおいて、

失う恐怖心や執着心を手放す

ということを体験しているのではないでしょうか。

何故なら、そこで守りに入っている限りは、コンフォートゾーンをぐわーっと押し広げることはできないから。

きっとやれても、恐る恐る、でしょう。

それが、どういう法則なのかこれはわからないのですが、ある状況では強い力でもって

不安も恐怖心も自己防衛も・・・手放すしかない!!!

という事態に気づいたらなっている。

そして恐らく、これが起きているということは、その大変な時期をあなたなら乗り越えることができるから、起きているとも言えるのです。

そしてですね、この手放しが起きて、いろいろなことがエネルギー的にも大変換を起こしているので渦中にいる本人は大変な思いをするのですが・・・

ここを乗り切ったご褒美というのも必ず、用意されているものなんです。

私はよく、「自分を超えたところに本物の豊かさはある」ということをお伝えしているのですが

自分を守っている状態や段階から、少しずつでもいらないものを手放し、自分と向き合い、最終的には両手をパーン!と広げて解放できた時に

あなたの器は始めよりもずっとずっと広がっていて、その分、自分や自分の周辺の人やものだけを守るので精一杯だったところからは想像もできなかったような

愛と豊かさの循環が起こっている

ことに気づくのです。

あなたは今、「自分を超える」準備、できていますか?!

まずは、守りに入っている自分に気づいたら、少しずつその緊張を緩め、何をそんなに恐れているのか、自分と向き合うところから始めてみてください。

その恐れが、「自分を超えることで起こる変化」に対する抵抗なのだと体感で分かった時、あなたは自らコンフォートゾーンに挑むことができるようになると思います🥰




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