突然ですが、皆さんは、人から何かを借りることを抵抗なくできますか?
たとえば、学校や職場などで忘れ物をした時。
筆記用具を忘れたりしたときにお友達や同僚に「貸して」と言えますか?
オフィスでは筆記用具忘れて困るというのはないと思いますが、私は以前、入室するセキュリティカードをデスクの上に置いたままトイレに行き、戻るときに入れなくなってしまい・・・・。
エレベータ降りてこちらに向かってくる人の中から最初に「素敵!」と思った男性に「セキュリティカードデスクに忘れてしまったので、私の代わりにタッチしてください」とお願いしたことがあります(しかも数回・・・)。
本当に冗談ではなくこれ楽しみながらやっていたのですが、外資系の大きな会社だったので、普段なかなか関わらない人とこの方法で友達になり、
その後も廊下などですれ違ったり、リフレッシュルームなどで会ったりしたらおしゃべりしたりするようになったりしました😊
逆ナンパ?!と同僚女子たちからは笑われましたが、本当にカードをデスクの上に忘れるところまではわざとではなく、ただその後の展開を自分で楽しんでいたということです🥰
あなたのものは私のもの、私のものは・・・・?
さて、今日は、前回の人生のCore Valueと並んで私のコーチングのメインテーマの一つである「豊かさマインド」について書いてみようと思います。
豊かさマインドとは、豊かさを享受して楽しむ、そして喜びをまた誰かと共有する、という豊かさを受け取って循環させることのできるマインドセットのことです。
これは、人生を豊かに生きる上では必須のものなのですが、実は、幼い頃に自然に身に付けていない場合、なかなか体感として理解できなかったりするものです。
かくいう私自身も、以前はまったく持ち合わせていないどころか、その反対の「欠乏マインド」の方に意識がとらわれてしまっていたのです。
欠乏マインドとは、豊かさマインドとは反対で、いつも何かに不足感をもっていて不満・不安な状態で、何かを得るには何かと引き換えと思っています。
それはたとえば、自分の努力や我慢、苦労などですね。
なので、そんな風に苦労して得た何か(お金・物・評価など)を分かち合うという意味がわかりません。
そしてここには、競争意識も潜んでいるので、誰かに奪われる前に自分が取らないと、というような不安がモチベーションになっていたりもします。
さて、先程の例では、人に○○貸してください、と抵抗なく言えますか?という質問でしたが、これが何を意味するかというと、
「あなたのものを、一瞬私のものにしてもいい?!(笑)」
えっ!!何それ、図々しい、と思った方、多いでしょうか。
結構日本では、人様に迷惑をかけることだけはしない、ということが美徳のように浸透していたり、親や先生からそのように躾けられたりしている人も多いので、
この「貸してください。」
言えない人、多いのではないかな〜、と思います。
では逆はどうでしょうか?
「貸してもらえませんか?」と言われた時、あなたの心はどう反応しますか?
もちろん、その対象のものや内容によりますよね。
物ならいいけど、お金はちょっと、という方は多いかもしれませんね。
また、相手の人が友達なのか、知らない人なのかではぜんぜん違うでしょう。
ただ、いずれにしてもここで大切な基本的な認識としては、
豊かさマインド:
あなたのものは私のもの(にもなり得る)。私のものは、みんなのもの(もちろん、目の前のあなたもそのひとり)。
欠乏マインド:
あなたのものはあなたのもの(だからそれがない自分は悔しいし、惨め)。私のものは私だけのもの(誰にも渡したくない)!
ということです。
これですね、どちらを自分が採用するかで本当に豊かさへの在り方が違ってくるんですね。
たとえて言うなら、私たちの肉体含め、この世界のものはすべて一時的にレンタルしていて巡っているとしたら、
何かを無くしても、失ったというより別のところに移動しただけだし、
自分のところにきたものも同じように循環させることができる、ということを、体感し、実践できるのが豊かさマインドなんです。
豊かな世界は無尽蔵
私がこの豊かさマインドの存在に気づいたのは、イタリアで過ごした時に、真に豊かな人たちと接したことがきっかけでした。
豊かさとは、お金を含む、波動の高いエネルギーが具現化したものなので、愛や健康、生きるための物資などいろいろなもののことを指しています。
イタリアでは、世界中からの様々な国籍の人と知り合いましたが、意図したわけではなく、上記の意味で豊かな人に囲まれることの多い時間でした。
年齢も様々で、イギリスやドイツから来た裕福な家庭出身の学生の子達や、今も仲良くしてくれているドイツ人のお医者さまと看護師の熟年夫婦、ホテル経営をしているイタリア人の若者や、トルコ人の若くて美しい弁護士さん、イタリアにバカンスに来ていたフランス人老夫婦など・・・・。
みんな幸せで人生を楽しんでいる人たちでした。
世界遺産が豊富で夏はバカンスに最適など、イタリアという国の特殊性もあると思うのですが、その時の交流から私はあることに気がついたのです。
年齢や国籍問わず、彼らには共通の「あり方」が存在していました。
それは、
- いつも穏やかで笑顔が素敵、またはのんびりしていて大らかな雰囲気。
- 感情の起伏が激しくないし、滅多に怒らない。
- 人に与えることが、まるで呼吸をするかのように染み付いて自然にできる。
- 心配しない。
という感じ。
そしてこれは、若い人においても同じで、もちろんもともとお家が裕福というのもあるのでしょうが、彼らは若いうちからこの豊かさマインドを身につけている、そのマインドを人との交流の中で実践する学びの途中のようでした。
この人たちはよく、例えば皆で食事に行ったりすると、「今夜は僕(私)がご馳走します!」と言って帰り際に全額払ってくれたりするのですが、
私がびっくりしたのは、まだ学生だったりする20代前半の男子(たまに女子も)が、これをやったりする時がありました。
もちろん、参加しているのは全員若い子たちです(私もそれに混じってましたが😅)。
カッコつけたい気持ちもあるでしょう、そして、支払いに使うカードは恐らく親のでしょう(笑)。
最初は私も少しうがった見方をした時もあり、自分の分は自分で払います、なんてなんて言ってみたこともありました。
でも、彼らは、その金額や、メンバーなどは関係ないのです。
なぜなら、恐らく、親御さん承知の上で、「豊かさマインド」の実践レッスンをしていたからだと後になって思ったりしました。
その証拠に、学生の身である彼らの普段のイタリア滞在生活は、とても質素で至って普通でした。
もしかしたら、日本人の多くは、自分で稼いだお金でもないのにそれはどうか?と思う方は多いかもしれません。
ですがこれは、この楽しい時間のエネルギーをお金と交換させてください、と言わんばかりの、ご馳走している本人にとっても本当に気持ちの良さそうな支払い方だったのです。
そして、言わずもがなですが、当時の私はその若者集団の中にいてすらも、そのようなことは一度もできませんでした。。。。
そう、若い彼らはこれから自立して豊かに生きるための、人生のレッスンを実践していたのです。
そのようにして皆に食事を振る舞うという行為の喜びにフォーカスし、
豊かさとは欠乏するものではなく、いつもそこにあって巡り、誰かと共有するものである
ということを肌で理解する練習をしていたのだと思います。
そして、私はイタリアを去る頃、十万円のディナーを振る舞う経済力はありませんでしたが、上記の豊かさマインドを自分も身につけよう、そうありたい、と願って日本に帰国しました。
なぜなら、私はそれまでの人生で、豊かさとは無縁の欠乏マインドでいたため、無くなると恐れるほど欠乏し、奪われるのではと心配するほどそれが現実になるのだということをすでに身をもって体験していたからです。
まとめ
今日は無尽蔵な豊かさマインドについて書いてみました。
全ての豊かさは一時的に自分のところに来てくれているレンタル品で、喜んで幸せになるほど、そして人と共有して喜びを循環・増幅させるほど増えていく。
このことをまずは知識として理解してみてください。
そして、体感するには少しずつ、自分以外の外の世界とコミュニケーションをしながら、豊かさのシェアリングを意識してみてください。
日常の小さなところからで構いません。
頂いたものは心から喜んで受け取ることだったり、
誰かにお裾分けしてみたり、
寄付をしてみたりです。
最後に一つ大切なことは、与えるときは見返りを期待しないこと!
なぜなら豊かさとは与えているというよりも、循環させている、と表現するのが正しいくらい、単純にあなたのところに来たものを、次の人に渡す行為が、
ますますの豊かさを引き寄せるからです。
なかなか最初は難しいのですが、少しずつ実践してみてくださいね。
あなたの中に少しずつ豊かさのエネルギーが巡るようになると、気分も良くなり、いろいろな不安や恐怖心、競争心からも解放されると思います。