舐められない優しさと威嚇しない強さ

一見物腰がやわらかくて優しげだけれど、実は自分に対しても人に対しても厳しい考え方をする人と、

反対に、見るからに厳しそうだけれど、実はとても常に厚く温かい人。

皆さんならどちらの方が好きですか?

もしかしたら、日本人の多くが理想としている(?)か、潜在的に良いと思っているのは前者なのかもしれませんが、私はどちらかを選ぶのであれば後者のタイプかな、と思います。

ですが、どちらのタイプも、優しさと厳しさのバランスが偏っているとも言えます。

前者の、ぱっと見の物腰は柔らかいタイプというのは、印象としては良いので表面的な好感はもたれやすいですが、少し親しくなったあとで見せてくる頑固な面だったり、〜であるべきという画一的な考え方だったりが『たまにキズ』となるタイプ。

はじめの柔らかな印象をある意味裏切られるので、その頑固さやこだわりに「なんでそこ?」などと思われたりしやすいです。

また、本人としても、実はその頑固さやこだわりは、優しさや柔らかさを期待して接してくる人に対して自分を守る砦(とりで)のようなものだったりするので、必要以上に意固地になってしまうということも起こりやすいです。

いっぽう、見るからに厳しそうな雰囲気をもつ人というのはその逆で、最初から「手強そう」とか「頑固そう」などと思われているからこそ、簡単に人はよりつかないけれど、親しくなると見せてくる優しさや情の深さが意外な一面として印象づきやすい。

このタイプには本当はとっても優しい人が多かったりするのですが、第一印象などで損をしやすいし、また、優しいけれどぶっきらぼうだったりと、不器用な一面があるので、そういったことを含めて理解できる人でないと本当の優しさが伝わらなかったりもします

こういったタイプの人たちは、実は優しい分内面はとても傷つきやすい繊細さももちあわせていたりするので、第一印象で見せる『簡単にはよりつくな』感は、そのような繊細な自分を守るためだったりするんですね。

つまり、どちらも、『優しさ(=弱さ)』につけこまれないように、その反対の要素である厳しさを無意識に出しているのですが、それが最初なのか、後なのか、の違いだけなんですね。

本物の優しさは舐めさせない

優しさというのは、どんな人にも生まれた時からある要素なのですが、同時に、その優しさによって傷ついた経験というのは誰しもあるのではないでしょうか。

優しい気持ちで接しても、それが伝わらずに期待外れな態度を取られたり、あるいは、意図的にではなくても、優しさにつけこむような人は世の中に多く存在します。

だから、もしかしたら本当に優しい人ほど、つけ込まれないようにする術を身につけてしまうのかもしれません。

または、そんなふうに自分を守ることすらせずに、優しさがあだになって、なぜかいつもビンボーくじを引いてしまうような人も多いのかもしれないです。

そして、先ほど優しさ=弱さと書きましたが、優しいということの本当の意味を明確にしておくことも大切だったりします。

一般的には、優しいということは、相手に譲歩してあげたりすることで相手の望むことを満たしてあげることを意味することが多いと思うのですが・・・これって、場合によっては『弱さ』とも言えるわけです。

それは、相手から嫌われたくないとか、争いたくないとか、優しさのようでいて実は自分都合のことから成り立つ優しさとも言えて、本当に相手と自分両方にとってベストな対応か?というと、違うことも多いのではないでしょうか?

そして、なんでもその人の思い通りにさせてあげることではなく、本当にその人と自分や周囲のためになる行動がとれることを『本物の優しさ』とした場合、相手から舐められてしまう優しさというのは失格、ということになります。

では、舐められない優しさには、何が必要だと思いますか?

しっかりと手綱(たづな)を握る強さ

まず、相手を見てしっかり判断することが大事です。

人には成長の段階というものがあり、その段階によってはなんでも好き勝手にさせては大変なことになる、つまり判断が甘かったり、感情や思考をコントロールできない未熟な人も多くいます

理想の人間関係は『対等であること』ですが、それが可能となるのは、お互いがそれぞれ自分の責任は自分で取れるというのが前提です。

だからたとえば、相手が子供で親として向き合う場合などは、親は子供を尊重はしつつも子供の手綱はしっかりと握ってコントロールすることは、ある時期まではその子のためなのです。

また、優しい人の中には自分自身のコントロール権ですら、相手に渡してしまったり、あるいは気づいたら渡っていたりすることが時々起こります。

こうなると、完全に相手から支配される関係となってしまい、関係も良くないだけでなく相手を支配者(または加害者)にしてしまうので、本当の優しさとは言えません

だから、どんなときも自分自身の手綱は、完全に相手に渡してはいけません

もちろんこれも、相手が成熟していて、お互いが対等であるなら、お互いの手綱をゆだねあうことも起きてくるでしょうが、それだって、自分のことに責任が取れなくなってはダメなのです。

また、逆に、相手が大人の場合であっても、場合によっては相手の手綱をこちらが握る必要もでてきますが、これも完全に握ってしまうと、今度はこちらが「支配者」となってしまうので、その加減はしっかり調整する必要があります。

先ほどの親子関係の場合や、あるいは何かを指導して導く際の師弟関係の場合もそうで、相手が人間的に、あるいは何かの技術や理解が未熟で判断が不安な場合などは、しっかりと手綱をこちらが握ってあげることで、関係も良いものとして結果的に良い方向へ導くことに繋がります。

いずれにしても、相手を威嚇したり威圧して従わせるということではなく、むしろ相手が信頼と尊敬の気持ちで自然にこちらの誘導に促されやすいようにしていくことが大切です。

このように、心理的な手綱をしっかりコントロールすること。

これが、相手を威嚇して従わせるのとは違う、本物の強さの意味です。

まとめ

今回は、優しさと厳しさという視点で書いてみましたが、『ただ優しい』だけでは本当には本人のためにはならない、ということは、多くの人が実際に体験したことはあるのではないでしょうか?!

では、舐められないようにするための対策として、手綱を握るという心理的な力関係のバランスをとる以外に、どんなことができるでしょう?

それはですね・・・意外に様々な対策があります。

  • 穏やかな笑みをたたえながらも、はっきりとした口調で話す
  • 身なりをしっかり整える
  • 言葉遣いや声の抑揚を調整する

などのほかにも、例えば社会的な肩書きや資格なども、時と場合によっては舐められない助けとなるかもしれません。

もちろん、人の本質的な部分はこのような印象操作とは関係ないところにある(!)し、これらはあくまでも二次的な要素として効果的、ということです!

人を判断するときに一番大切なことは、その人の考え方や人となりです。

ですが、世の中には、それをもってしても、「優しさに漬け込む」あるいは悪気はなくても「優しさを舐めてとる」人というのは多くいます。

こういう人たちから身を守るためにも、また、このような人たち本人のためにも、舐められない優しさと威嚇しない強さをもつことはときに、とても重要です。

これができると、あなたの内側はバランスが取れて成熟しているということとなり、また、どのような人に対しても、被害者も加害者も生み出さない人間関係を築けるようになるはずです✨

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大切なことは、『素直で正直な自分』をまず作ることから、ということはいつも変わりません✨

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