「感じられない」からのスタート

マインドフルネスや瞑想をお伝えしていると、「自分の感覚というものがわからない」という方が結構いらっしゃることに気づきます。

そして、何を隠そう、私自身もかつてはその状態で生きていました。

感じられない状態とは、言い換えれば思考優位の状態にあるということです。

そして、この状態にある人の特徴として、次のような傾向があります。

  • 勝ち負けや損得、良いか悪いか、が判断の基準となっている。
  • 「自分は正しい」と証明することに安心感を覚えるので、それを否定されると猛烈に動揺する。
  • 人に対しても、口に出さずとも常に判断や批判をしてしまう。
  • 他人からの賞賛や反応が自分の価値の証なので、つねに「人からどう思われるか」を気にしてしまう。

この状態にある人に、「今どんな風に感じていますか?」という質問をすると、たいてい感じていることではなくて、考えていることが答えとなって返ってきます。

例えば、狙っていた昇進のチャンスにそれが実現しなかった事実に対して、

「まぁ、多少の失望はあるけれども、でも自分はそれなりに頑張ったし、やってきたことに意味はあるので、これでよしとしようと思ってます。」

みたいな感じです。

これって、感じていることではなく、思考なんですね。

感じていることというのは、とてもシンプルな言葉なんです。

「悲しい」、「悔しい→ 自分の価値がなくなってしまった感じ」、「虚しい→ 自分だけおいていかれたような感じ」などの感情そのものを表す言葉が、本来見つめる感覚になります(→から先は、その感覚をもっと深く見つめたときにさらに感じられる感覚)。

そして、そのような感情という感覚以外でも、

「胸が痛い」、「喉が詰まる感じ」「お腹がゴロゴロする」

など、体の反応となって感じられることもあるので、このような回答でも○です。

感じる、感じられる、ということは、このような思考が介入してこない純粋な感覚を、感じるということになります。

感じるということを取り戻す!

特に先程のようなネガティブな感情というのは、感じて気持ちが良いものではないし、また、たいていは子供の頃などに、それを感じたことでつらかったり、嫌な経験をしたことで「感じない」ということをスキルのように体得していきます。

正確には、感じないフリをするスキルで、本当は感じていたのですが、それを「なんともない」、「大したことない」と頭で自分に言い聞かせてそのように振る舞うことで、体に覚え込ませた感じですね。

いちいちそこで感じてたら、学校生活だったり、親や友達との関係だったり、、、、に支障が出てくると思っていたでしょうし、そこで動揺するような自分では認められない、許されない、もっと頑張るしかない、もっと人に好かれるように、、、、などと一生懸命意識を違う方向に向けることをしてきて、それを繰り返すことによって、「感じない」がデフォルト化していきます。

そして、感じないということを長くやり続けてしまうと・・・・心や体が硬直してしまい、どんどんしんどくなるのですが、その感覚はじわじわと、「何故だかわからないけど」苦しい、そんな感じとしてやってきます。

また、そんな人にとって幸か不幸か今の時代、そしてこれからの時代は感性と個性で生きる時代と言われるようになりました。

感性で生きるとは、私たち皆が与えられている、自分にしか表現できない内側の感覚を基準にしてものごとを選択していくということです。

これまでの時代は、いかに社会に適応できて、そこで与えられた基準に沿って行動し、高い成果を収められるか、皆と協調して一緒に同じ方向に向かって進んでいけるか、が評価されたのに、いきなり「感性」とか「個性」と言われても・・・という方は多いと思います。

でもですね、そもそも私たちは皆が、もって生まれたそれぞれの肉体と感覚機能、得意なことや好きなこと、心惹かれること、嫌なことを感じる独自のセンサーがあるのです

それを使わずに押し込めて長く生きてしまうと、これは頂いている肉体や心の感覚機能を錆びつかせているのと同じなので、それはやっぱり元気がなくなるし、どこかで問題も起きてくるのです。

では、どのように再び、子供の頃にはちゃんと機能していた感じる機能を取り戻すのでしょうか?

その答えは、これまで長きに渡って「感じないようにするために」せっせと作ってきた「判断の枠」を壊していくことにあると私は思っています。

正しいからではなくて、心がそうだというから。

はじめは少し勇気がいることが多いですが、小さなことからでいいので、当たり前に信じてきていることと違うことをやってみることをお勧めします。

これは、「選び直し」と私は呼んでいますが、頭で判断することから解放されるのにとても良い意識づけだと思っています。

つまり、これまでの自分の判断を、自分の思い込みではないか?!ということで、一度疑ってみるのですね。

もちろん、これをすべてのことにやりだすと訳がわからなくなるので、ポイントは、感情が動くときにフォーカスすることです。

例えば、先程の昇進のチャンスを逃した例で言うなら、自分が悔しくて、これまでの頑張りに対して虚しさも感じている、ということに気づくには、昇進=自分の価値が上がる、という価値観を一旦手放してみます。

昇進しないことで得られるメリットはなんだろう?と考えてみるんですね。

大きな責任を負わなくて済む、家族との時間や自由な時間が確保できる、転職を考えるいいチャンスとも思える、などなど。

そして、この違う価値観をみたときに、自分はどう感じるか?もう一度確認してみます

ここでやっぱり、それだと悔しい、と思うのであれば、それはなぜだろう?と考えて自分の「本当の」望みを探っていきます。

そうではなくて、ああ、気づかなかったけれど、自分はそもそも昇進を望んでいたのではなくて、本当に欲しかったものはもっと別のものだったー 家族との温かい時間や、共に成長し合える仲間と働く職場、自分の得意なことを生かして働く環境、などなど ー と気づくかもしれません。

こんな風にして、私の場合はことごとく、自分のそれまでの価値観を一度疑るということをすることで、本当の自分の感情や望むことに出会う、ということを繰り返してきたように思います。

そして、最後は、選び直すのです。

自分がほんとうに望むことをベースにして、その結果やっぱり元の価値観を選択し直しても構いません。

でも、理由は、「今の自分の心がそう決めたから」となって、ここではじめて、思考があなたの感覚と一致することになります。

まとめ

今日は「選び直し」というプロセスをご紹介いたしました。

このようなステップに加えて、日々瞑想をしたり、夢中になって取り組めることをすることで思考から離れる時間をもつことも行うとさらに効果的です。

大切なことは、ガチガチになっている思考の枠を緩めて、いらないものは手放していくことなんです。

そのためには、「価値観の崩壊」のような、視点をダイナミックに変えることもときには必要かもしれません。

勇気もいることが多いのですが、そのたびに、なぜ自分はそう思うのだろう、なぜ不安や恐怖心が湧いてくるのだろう、と自分と対話していくこと。

「感じられない」状態から感性で生きられるようになるには、他人や自分以外から影響を受けた価値観をいったんナシにすること!

そして自ら、自分のものとして作り直すこと。

この過程を経ることで、自然に自分と仲良くなるための視点を持てるようになり、感覚の目覚めも起きてくると思います。




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