お金と愛というのは、人が幸せに生きる上でもっとも望むものであり、またそのため悩みの大半を占めるものです。
そして、この2つにはよく「共通する性質」があると言われるのですが、皆さんは聞いたことありますか?
なぜ共通することが多いかというと、この2つは両方ともエネルギーが具現化したものだという考え方があるためです。
エネルギーというのは、このブログでもよく書いていますが、私たちの世界に存在するある共通の性質をもって巡っているものです。
自然界にも、私たちの体にも、そして最近では思考や感情にも存在していることがわかっていて、要はすべての物体を形作っているものであり、また、目に見えないものとしてもちゃんとそこにあって、常にある一定の法則に従って存在しているのです。
エネルギーの法則というのは、物理の世界で言われているもので、私はあまり得意な分野ではないのですが💦
その性質としては、巡り動いていて、また段階(レベル)があり、同じ性質のもの同士で調和し合うというものがあります。
入れ方よりも、出し方が大切な理由
エネルギーの法則では、大きなボリュームで一つの対象に注ぐと、そこでさらに拡大して増大する、というものがあります。
そして、逆に出し惜しみというか、滞らせてしまうと、停滞して滞留し、その性質はレベルとして良くないものになってしまうのです。
例えば、お水などはわかりやすいと思うのですが、川のように常に流れている時は澄んでいてキレイだけれど、それがどこかでせき止められて流れが滞ってしまうと、良くないものもそこに留まって次第に水がよどみ、濁っていきますね。
お金も愛情も、エネルギーが具現化したものとした場合、同じ性質をもつことになります。
つまり、常に流して巡らせる必要があるということ。
よく、お金などは稼ぎ方よりも使い方が大事、と言われたりしますが、それは先ほどの「どこにエネルギーを注ぐか」で、その後の巡りに影響してくるからですよね。
私も経験があるのですが、自分が本当に価値を感じるものにお金を使うと、その後不思議と使った金額以上のものが戻ってくる、というのはよく言われることです。
もっともリターンが得られる!と言われるのは、まさに自己投資です。
逆に、目的もなくただ不安や恐怖心から、使うことを恐れて溜め込むことをしてしまうと、後から何か不本意なところで強制的に使わざるを得ない状況に陥る、ということも言われたりします。
滞留したことによるよどんだエネルギーを、放出する必要があるからですね。
では、愛という視点ではどうでしょうか?
愛も、もらうことにばかり意識が向いて、巡らせることができていない場合、やはりエネルギーの滞留というのが起きるのです。
そして、愛の場合は特に(お金もですけど)、自分から巡らせる対象は特定の人やモノに執着しすぎないことが大事ですね。
大好きなこと、心躍ること、心温まること、その対象を思うだけで愛が溢れ、豊かな気持ちになる。
愛の場合は、この時点で、受け取ることと、与えること、を同時に行っていることになりますね。
そして、そこで頂いた心のパワーを使って、誰かを喜ばせたり、助けたり、幸せにしていけばいいのです。
その時に、愛の場合で注意したいのは、見返りを期待してそれをしないこと。
この、見返りを期待してやる、というのは、お金でも愛でもつい、やってしまうことなのですが、やはり見返りの期待をできるだけ無くして「出す」ことができるようになると、それは純粋で強いエネルギーとなって循環するのではないかと思います。
まとめ
お金と愛、どちらもエネルギーが具現化したもので、私たちはつい形としてそれを望んでしまいがちになります。
まずは、エネルギーである以上、目に見えないパワーというものもそこに存在している(エネルギーの具現化はすべて、目に見えないところから始まります)ので、まずはそれを感じられるようになりましょう。
ここで、お金と愛の共通するエネルギー的特徴を私なりにまとめます:
- 数字やモノとしてではなく、そこに乗ってくる感情や思いを感じられるようになると、より価値がわかる
- 自分という器を磨いておかないと、入ってきても良い状態で流せない。器とは、精神と肉体の両方。
- 器が大きくなるほど、大きなボリュームで入り、流して行けるようになる。器を大きくするには、まずはしっかり巡らせることができるようになること。
- 巡らせずに滞らせると、そこで滞留した良くないものを出さなくてはいけなくなる。愛の場合は、歪んでしまったよくない感情として出る。
どちらも巡らせること、がキーワードになりますが、それをできるようになるのは、前回の記事でも書いた通り、ファーストステップは「しっかり受け取る」ことです🥰