やり方より、あり方の時代

私は、昔から精神論が嫌いです。

私が幼かった頃の昭和の時代って、精神論が結構まかり通っていて、それを一番感じたのって中学・高校で所属していた部活動(バスケ部)だったかな〜、と思います。

血を吐くほどの練習と努力をしたことが美談として先輩から語り継がれていたり、今はあり得ないですが、練習中は水を飲むのは禁止で、そのような辛い状況に耐えられることが強い自分を作る、というような考え方を叩き込まれそうになりました。。。

「そうになった」というのは、私はその部分では本気で感動したり、陶酔したりできなかったので、口には出さずとも冷めた感覚で見ていたために、自分の信念としては浸透しなかったのだと思います。

ですが、こういった冷めた気持ちって、もちろん相手には伝わってしまうので、先輩からはあまり可愛がられるタイプではなかったのは事実です💦

高校生の途中で、このようなど根性の世界から心底抜け出したくなり、しかし当時は途中で何かを辞めるのは根性なしの証拠!みたいな価値観があって、ものすごい引き留めがあった中、部活動を途中で辞めることを実行しました。

その後、大学時代はこういった精神論的なものからはいっさい距離を置きたかったので、「何にも属さず、何も活動しない」状態で4年間を過ごしたのですが、だからと言って楽しむだけのサークルなどにも上手く馴染むことができず。。。。

結局、何にも取り組んだりした記憶のない大学生活になってしまったことは、後から少し後悔もしました。

就職してからも、こういった精神論は結構根強いものとして社会に浸透していることを感じることが多かったです。

今でこそ、働き方改革などが国をあげて進められていますが、私が20代の頃ってまだ、

どれだけ根性見せて耐え抜いたか?どれだけ必死に頑張ったか?

みたいなことが美談となったり、その後仕事が評価される時の根拠になったりしていました。。。。

例えば、雑誌などのインタビューでは、芸能人も一般の人も、そのような耐えた時代があったから今がある、ということを皆が判で押したようにストーリーとして話していて、そのような情報を見聞きするたびに、

自分に何もないのは、根性見せる気力もその対象もないからなのかな・・・・

なんて思ったりしたこともあります。

10代の頃に見出した、エネルギーの使い方

そんなふうに就職してからも、全情熱を傾けたいと思う仕事をしていたわけではないので、いつも考えていたことといえば、

いかに効率よく仕事を終わらせて、早く帰るか

ということばかりでした(笑)。

そして、30代になると、それにプラスして、いかに同じ仕事でも多くの報酬やメリットがあるか?を仕事選びの基準にしていたので、途中からは外資系企業でしか働かないと決めたのです。

当時の外資系企業では、私のような事務職でもお給料は日系企業の1.5倍くらいは貰えていたし、一般的に必要のない残業などの無駄な仕事をど根性ですることは、「経費の無駄遣い」とされて評価されません。

なので、どうせ仕事しなくてはいけないなら、できるだけ楽しくて(海外が好きで英語が好きだった)、早く帰ったりお休みもたくさん取ることが可能で、お給料も高いところがいい、そう本気で思っていました。

だから、外資系で働くことは、私にとって最善の選択だったのです。

そして、その恩恵は実際とってもあったし、良い時間を過ごさせて頂いたと思っています🥰

まぁ、当時の私はマインドのあり方も、心の根っこが良くないためにいい状態とは言えず、情熱やほとばしるものが(特に仕事などの好きでないことに関しては)湧いてこなかったので、当時のいわゆる社会人としての基準で言うなら、決してお手本になる人ではなかったと思います。

で・・・・私が精神論が嫌いだった最も大きな理由なのですが・・・

それは一言で言うならエネルギーの無駄遣いにしか思えなかったから。

私は高校生の時に、なんとなく無意識に、なのですが、ど根性などしなくても、「良いエネルギーを集中させる」と物事がうまくいくのだ、と言うことを体で覚え始めてしまっていました。

3年生の春くらいまで部活動をしていて、毎晩夜遅くに帰る毎日だったのですが、結構テストの成績は良かったのです。

授業中は眠くて居眠りしていることも多かったので(女子校でしたので、人目をはばからず!寝てましたね・・・笑)、周りの友達からは相当不思議がられたものです。

ノートもき〜〜〜〜っちり取る友達の横で、居眠りしたり、汚いメモ書き程度にしか取らなかったりで、しかも部活動で毎日勉強なんてできていない状態。

それが、テスト期間に入って部活動が休みになると、ぐわーーーーーーっと挽回していくのが私や、あと同じように部活内でも好成績を収めていた同級生や先輩のあり方でした。

で、今だから説明できるのですが、これって、エネルギーを集中させる方法を知っていたからなのだと思います。

部活している時は部活に集中する。しょっちゅう、合宿とかもあって、週末は試合などで大忙しでしたので、本当に勉強どころではなかったのです。

で、テスト期間になると、テストにそれを切り替える。

大切なことは、ここで出すエネルギーの量と質なんです(※ かけた時間はあまり関係ありません)。

量とは、つまりやる気の量✖️行動量の結果

質とは、どれだけそのことに集中し、自分に集中できているか、の度合いです。

そして、私はその後も、自分が本当にやりたいことが見つからない、ダラダラとしていて情熱の発露が見出せない苦しい時間を長く過ごすのですが、そんな中でも、好きなことにだけには、先ほどのエネルギーの量と質を良い状態で注いでいました。

そして、今となっては、結局それらがすべて、今の仕事にも、自分の生きがいにも繋がっているのです。

まとめ

時代が変わり、今は精神論はその鳴りを潜め始めています。

昭和の時代を生き抜いた一部の人にとっては、まだ根強い価値観かもしれません。

ですが昔で言うど根性論がもたらした負の結果も相当多かったわけです。

外資系の企業ではよく指摘されることですが、日本にはまったく合理的でない慣習や考え方が伝統的に根強くあり、それはたとえば形式にこだわってやたらと時間をかけることだったり、先ほどの精神論にもとづく価値観だったりするものが多いです。

もちろん、そこに「日本人の心」があると考えられるものもあり、特に伝統技術などにおいてはそうでしょう。

しかし・・・・今の、そしてこれからの時代において大切なこと。

それは、何であっても、そこに乗ってくるエネルギーの質!なのです。

これは、スピリチュアルの人でなくても最近は言われたりしますね。

またこれからの(今も)エネルギーの質を決定づけるものは何かというと。。。。

それは先程の集中の度合いに加えて、好き!ワクワク!!などのプラスの思い

まさに、それをやる人の内側から湧いてくる純粋な思いや情熱が、そのエネルギーの質を決定づけるのです。

来年2022年は、さらに価値観の変容が加速するでしょう。

古い価値観を手放して、良いエネルギーを生み出すことに意識も行動も集中させましょう。

それが、新しい時代にうまくいく方法であり、「やり方よりもあり方」が大切と言われる理由なのです。

精神論で説かれるような、忍耐、根性、気合い、正しさ、などは。。。。本当に好きなことに対してならまだ良いのですが、そうでない場合、エネルギーの質を重くして下げるのだということ、ここをしっかり理解しましょう。

私は今は確信をもって、精神論よりエネルギー!と言えると思っています😊




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