皆さんはこれまで、期待して裏切られたことで、
ひどく落ち込んだり、傷ついてしまった経験はありますか?
きっと多くの人が経験していることだと思いますが、
期待は裏切られること前提です。
なぜなら、「期待」というのは、勝手にするものだから。
自分がこうなったらいいな〜、と思って
そこまではいいのですが、それには誰かが関わっていて、
そして、その人が行動してくれないと望み通りには行かない場合。
これですね、たいてい、望み通りにはならない笑
か、
望み通りに動いてもらうには、いろいろと戦略が必要だったりします。
相手をその気にさせるために
機嫌を取ったり、交換条件みたいなものを提示してみたり。。。。
こういうことに長けている人も中にはいますが、私はこれやっても
ことごとく裏切られていたので、
ある時期、期待することをいっさいしなくなってしまったんですね。
「こうなったらいいな」すら
思い浮かべたりしなくなりました。
振り返ると、怖かったんですね。
また裏切られるのが。
でもこれって、望みがない、という意思表示をしているようなものなので、
本当に迷走状態で、どこへ向かっているのかも、
誰が好きで、どんな人と関わっていきたいのかも
自分でもわからないし、当然
大きな世界に意思表示もしていないのだから
「なんで自分だけ、こんな嫌な現実ばっかりやってくるのだろう」
っていう現実と本気で格闘していたのもその頃です。
私はいつもお客様には、「望みを明確にすること」と、
「そのイメージをできるだけリアルにして、感覚を味わうこと」を
お勧めしています。
Youtubeでも「幸せのビジュアライゼーション」という、
望む未来と現実を近づける瞑想法をご紹介もしています。
(こちら↓↓)
さて、では、この望む現実を明確にしてイメージすることと、
期待することはどこが違うのでしょうか?
それはですね、期待というものが、
あなたの希望する状況になるために関わってくる相手の意志に対して、
「100%あなたは自由ですよ」というメッセージではなく
「私はこうして欲しい」、下手したら
「こうしてくれないと困る!!!」というプレッシャーなども含め、
自分を優先して欲しいということを感じさせるもの、
という点が大きなポイントです。
その一方で、このビジュアライゼーション瞑想で行っていることというのは、
私の意志は100%自由にして望む未来をしっかり表明するのと同時に
もしもそこに関わる人がいる場合には、
それを受け取るかもしれない相手も、100%自由でいていいですよ、とするのが
期待ではなく、「望みを明確にする」ということなのです。
期待ではなく、信頼をしよう
期待というのは、それが誰か特定の人に向かう場合、
波動としては重たいものになります。
なぜなら・・・皆さんも逆に期待された時に感じると思うのですが、
〜ねばならない、という気持ちになりがちだからなのですね。
もちろん、大切に思っている人の期待には応えてあげたいはず。
ですが、それって、本当に自分が望んでいることとは違うのかもしれない。
そう思うと、人間て逃げたくなるのが普通です。
よく、「やるやる詐欺」などと言われてしまうような
「やります!」と言いながら、まったく行動しないじゃん!!
みたいな人ってたまにいますが(私も過去はこういう人とばかり関わってました・・・)、
これは、その本人がそれを望んで自らやると言っているというよりは、
相手を喜ばせるため、あるいはうるさいのでその場を収めるためにただ、
「やるやる!」と言っているだけなのですね。
このような人は、人からの信頼を失いますが、恐らく一番問題なのは
自分で自分のことがわかっていない&信頼できていないこと。
人から嫌われたくなくて、その場でいいことを言ってしまう人にありがちです。
そして、人を自分の思い通りに動かしたくて勝手な期待ばかりする人には、
この、人から嫌われたくなくてつい、断れないで「やる」と言ってしまう人が
引き寄せられやすくなります。
では、一方で「信頼」って何だと思いますか?
期待が勝手にするものであるのに対して、
信頼というのは、関係性の中でするものだと私は思います。
つまり、信頼って、まったく知らない人とか、個人的な関係がない人には
しないものですよね。
芸能人に対して、いくら大好きな人でも、信頼してる、とは言わないですよね?
そのような場合は「期待」となり、裏切られる前提と思った方がいいです笑
それに対して信頼というのは、互いの絆があるからこそ、使える言葉ではないでしょうか。
そして、信頼という言葉を使う時には、実は覚悟が必要となります。
その覚悟とは何かというと、
「私の思い通りにはいかなくても、あなたは正しい選択をすると信じる」
というもの。
つまり、自分の望み通りに行かなくても、
相手が選んだ選択は、自分にとっても正しいものだと「信じて受け入れる」
ということなんです。
これには、相手と自分両方に対する深い信頼と敬意が必要となります。
つまり、この関係は親子でも、夫婦でも、恋人でも、お友達でも、また
お仕事仲間でも言えることなのですが、
信じるからこそ、相手と、そして目に見えないものも含めて大きなものに
「委ねることができる」ということ。
もちろん、この時、自分の希望はしっかり表明すること!が大切になります。
そして後は、相手の意志に100%の自由を与えてあげるのです。
この信頼ベースでものごとが望み通りになる時、
それは運もご縁も含めて、すべてが自分の望みと重なるという
奇跡のような体験をすることになりますが、
そこではもちろん、相手を操作したりすることはいっさい必要ありません。
だから、何かを相手に望む時というのは、信頼をまず築くことが大切になります。
まとめ
先日、私は誕生日でした。
私の誕生日に、もう20年ほど毎年欠かさずメッセージをくれるカナダ人の友人がいます。
過去に、私は彼のことが信じられず、疑り、
そして案の定裏切られた、と思ったことがありました。
でも、もうこんなに年月が経ったということもありますが、
今年気づいたことは、もしも彼が私のバースデーに何もメッセージをくれなくなっても
私は彼を信頼しているので、
彼が幸せでいてくれるならそれでいい、と思っている自分がいるということです。
バースデー以外でも時々メッセージのやりとりをするのですが、
自分の誕生日を覚えていてくれるか?を以前は試している自分がいたのですね😅
もうそんな気持ちは誰に対してもなくて、
大好きで愛する人だからこそ、
誕生日を忘れたからって何も変わらない、と信じられる自分がいるのが
小さなことですが、私にとって一つの成長のあかしなのかもしれません✨