ここ数ヶ月ずっと、空いている時間は韓国歴史ドラマを見ていました。
そして、韓国ドラマのヒロインにはだいたい、共通しているキャラ設定があって・・・
- 不幸な生い立ちで幼少期は苦労する
- しかし、性格はめちゃくちゃ素直で真っ直ぐ
- ありとあらゆる試練がふりかかるが、そのたびに不死鳥のように蘇る
- 嫉妬されたり、疎まれることも多いけど、必ず味方になって助けてくれる人がいる
- 男性からも女性からも、老若男女問わずに愛される
さらには、ルックスも可愛くてめちゃくちゃ頭がキレるも特徴なので、まぁ、現実に「こんな人いるの?!」な設定となっていますね(笑)。
で、日本のドラマなどのヒロインと決定的に違うところは・・・・
泥臭くてタフ
という点かな、と個人的には思っています。
日本のヒロインだと、どこか可憐さとか可愛らしさがあること、あとは隣のお姉さん的な親しみやすさとかフレンドリーさってよくあると思うのですが、
韓国のヒロインは、大人の男性ですらも歯が立たないような、精神的なタフさとクレバーさが特徴な気がします。
で、これって両国の理想の女性像を象徴しているともいえるかな〜、と思ったりします。
そして、日本版でも韓国版でも、ヒロインとして欠かせない要素は
華がある
ことではないでしょうか。
さて、ここで質問です。
華があるってどういうことだと思いますか?
泥の中でも自分を信じることができますか?
華がある人というのは、どんな時も自分の心に花を抱き続け、それによって相手の心にも花を咲かせるほどの光のパワーをもてる人、ではないかなと私は思っています。
ヨガ哲学の象徴としてよく登場する蓮の花も、泥の中で耐える時間があったその結果、あの美しい花を咲かせます。
泥より出で、泥に染まらず
と言われるのも、泥の中で開花させるための準備を整えながら、その泥臭さをいっさい感じさせないほどの美しい花を咲かせるということです。
人は環境に染まる生き物ですが、環境や周囲の人からの厳しい試練をも自分を磨く要素にできたら、蓮の花のように美しい花を咲かせる人になるのではないでしょうか。
もしかしたら蓮の花は、泥の中であえて過ごすことで、その強さと気高さを誇らしげに咲かせるようにできているのかもしれません。
そして、先ほどの韓国ドラマのヒロインはまさに、この泥臭さを思わせるようなひどい仕打ちや試練に見舞われ、普通の人ならそこでひねくれたり、絶望したりしそうなところを、それを乗り越えるたびに強く、美しく、バージョンアップしていくのです🥰
普段は意味のないところで「頑張るのは嫌い」と言い切っている私なのですが、彼女たちを見ていると、逃げるのではなく、「受けて立つ」あり方はかっこいいな、と思えてきたりもします。
それは、意味なく自己犠牲をしたりするのとは違って、信じるものや大切な人を守るために、目の前の試練から逃げないあり方なのかな、と思うんですね。
その証拠に(?)、ドラマの中のヒロインは決して
「私はこんなに頑張ったのに・・・・」とは言わないんですね。
自己犠牲は何かのために自分を犠牲にする行為ですが、そこには「認めてほしい」とか「愛してほしい」という、自分でも認めたくない感情が潜んでいたりします。
これは、無意識に取り引きをしてしまっているのと同じで、自分の大切なものを差し出すことで何かを得ようとするため、どんどん疲弊して惨めになってしまいます。
そうではなく、どんな試練も「引き受ける」という、取り引きしないあり方。
自分を無駄に差し出したりするのではなく、自分と大切なものや人を信じて守り抜くために行動を起こすあり方です。そして、その先には必ず魂のバージョンアップというご褒美が待っているようにも思うわけです。
別にドラマの中だけでなくても😊
そんなふうにして磨かれた魂は、内側からあなたを照らし、その光は周りの人にも及んで皆の心を照らすのではないでしょうか。
まとめ
自分の心を守る。信じる。
そして、周囲がどんなにそんなあなたの心に影を落とすように挑んでくる状況でも、それに影響されない強さを自分の中に育てる。
口で言うほどラクなことではありません。
心をいつも明るい方に向ける。これには訓練が必要ですが、それをやるにしてもしんどい時とか、何かめげそうになる時ってありますよね。
毎日変わり映えのない日常だったり、望んでいるものがなかなか見えてこない現実だったり。
努力していても報われないんじゃないかとか、私はずっとこのままなんじゃないかとか。
でもそんな日々であっても負けない光を自分の中に育てることができた時、花を咲かせるベストなタイミングはやってくるのです。
最後は泥を押し退けて花を咲かせる蓮の花のように。
華やかな人は、泥の存在も知っている。
私はそう思っています😊
光と影のコントラストを知る人だからこそ、いつも光を選択すること、育てること、維持することの大切さが身に染みてわかっているからです。