連日報道されているウクライナ情勢ですが、国境を超えてポーランドなどに避難している女性たちの姿を見るだけで、涙が出てくる時があります。
年老いた両親を残してきた人、夫や男兄弟、息子が国を守るために残っている人・・・・。
言葉にならない彼らの訴えは、言葉を詰まらせていても、映像の中からでも伝わってくるので、先日特集番組を見ていた時は、自分がまるでその場にいるかのような錯覚さえ覚えました。
私は以前は、人の悲しみや苦しみを自分ごとのように感じる、といういわゆる共感の姿勢を見せることがとても苦手でした。
今ならそれがなぜだったのか、説明できるのですが・・・
つまり、怖かったんです。
母親からいつも、「お母さんの気持ち、なんでわかってくれないの?」と言われていた子供の頃。
離婚して女手一つで3人の子供を育てる母の絶望と疲労、悲しみはいかほどだったか・・・・今思うと胸が苦しくなるのですが、当時はそれを感じるのは怖すぎたんです。
感じてしまったら、自分も生きる力を力を無くしてしまいそうで。
お母さんに寄り添うなんてしたら、自分も弱くて無力な立場にいくことになってしまいそうで。
冷たい子、自分のことしか頭にない子。
そう非難されても、当時の私には、感じないようにすること、できるだけ平気な自分を作ることこそが、自分を守ることだったんです。
いつもできるだけ楽しいこと、希望のもてることを考えることで・・・・。
そこには、実は内心ビクビクして怯えていた自分がいました。
共感が苦手で、弱さを全面に出してくる人(特に女性)に嫌悪感すら抱いていた私のその感覚は、結構つい最近まで続いていました。
でも、マインドフルネスを実践し、自分の潜在意識と向き合い、いらない感情や観念・信念にとりくんだことで、最近、他者に対する共感力も大きく上がったことを実感しています。
「暖かい家庭と守られた家が欲しい」
ポーランドの避難所に避難してきた20代の女性に、日本のレポーターが向けた、「今、望むことは何ですか?」という質問に対して、彼女が答えた言葉です。
「温かい家庭を作って、社会に守られて安全な場所で暮らしたい。」
この回答を聞いた時、私がまず感じたのは、
こんなシンプルな欲求、自分は抱いたことがあっただろうか?
ということでした。
人は、当たり前すぎることには目を向けなくなり、感謝はおろか不満の方向に意識が向くようになってしまいます。
心理学で有名な「マズローの欲求5段階」という、ピラミッド型で示された人間の欲求では、一番下の生理的欲求の次は安全欲求があり、その次に社会的欲求、承認欲求、自己実現へと上がっていきます(参考サイトはこちら)。
思い返せば私の場合、いつも承認欲求から自己実現の欲求に意識を向けていたように思うのですが、だからと言って下の方の欲求が満たされ、幸せを感じていたかというとそうではありません。
もちろん、日本で暮らし、安全面でも社会のしくみとしても、今ウクライナで起きていることを思えば、どれだけ恵まれていたのか思い知るのですが、それに対する感謝がまったくありませんでした。
この欲求段階は、「満たされることで」次の段階へと進む、とされるものなのですが、それで感謝の気持ちを感じなくなり、与えられていることの尊さをも忘れてしまう時、どんなに高次のものをその次に望んだとしても、人は幸せにはなれない、ということは日本の皆さんなら同意される方は多いのではないでしょうか。
シンプルに生きるとは、大切なものを思い出すこと
社会システムとしても、経済的にも、恵まれていて安全な日本ですが、幸せを感じられない人は多いように思います。
これは先進国に共通することかもしれませんが、生き方が複雑化して、望むことも多様化し、自分が本当に望むことがわからない人も多いように思います。
多くの情報に溢れ、日々様々な問題(お金のこと、生活のこと、将来のことなど)を考え続け、完全に守りの姿勢で生きる人も少なくありません。
人は、守りの姿勢で生きると、情熱も優しさも、愛も見失ってしまうのです。
過去の若かりし頃の私がそれを既に学んでしまったように。
私のコーチングでは、メンバーの方とコミュニティとして繋がっていただき、「アウトプットの練習」をしていただくことに取り組んで頂いています。
その中で、感謝を感じること、日常の中で喜びを感じたことを共有するというトークルームがあるのですが、皆さま様々な気づきをシェアして下さります。
お天気が良いこと、ご飯が美味しいこと、お店の店員さんからもらった親切。
そして時には、今まで見過ごしてきていた身近な人の存在の有り難さや、過去ネガティブに受け取ってしまった経験などにも、その気づきが深まり感謝の波動が及ぶことがあります。
何でもないことのように思えても、その有り難さに改めて気づいて言葉にする。
これだけで、私たちの意識は幸せへと一歩近づきます。
まとめ
シンプルな欲求を忘れてしまっていませんか?
今当たり前に思えていることや、どちらかというと不満に感じていることをぜひ見直して、もしもそれを失ってしまったらどんなに困るか、悲しいか、少し想像してみましょう。
また、普段無意識に我慢してしまっていることも
自己実現などの高度な望みは、私のコーチングでも目指す方向性にはしていますが、結局はシンプルな望みを見つけていくことがそのスタート地点だと思っています。
日々の心地よさや幸せ、感動することを見逃さないようにしていきましょう。
そのあり方の延長が、本当に望む未来へとつながっていきます