私は過去、とても孤独だった頃、強い信念をもっていました。
それは、「私は誰からも愛されない」というものでした。
信念というか、当時の自分にとってみれば強く思い込んで、自分の中に抱えていた観念でした。
そして、この観念というのものは、あなたの潜在意識に深く入り込んで
あなたが発する言葉や行いに反映されて、またそれだけでなく、
あなたが目にするものや体験するものも、それを裏付けるものとなります。
だから、当時の私は実際にとても孤独だったし、
「誰からも愛されるわけがない」という設定どおりに、
ほうら、やっぱり!と思わせられる現実ばかりが起こっていました。
職場には必ず意地悪な人がいて、なぜか私だけに嫌がらせをしてきます。
恋愛関係になる男性には嫉妬を抱いたり、愛情を疑ったりした結果、その通りのことが起きます。
家族にもなかなか理解されず、そんな家族に生まれた自分のことを不幸だと感じていました。
当時仲の良かった友人に対してすらも、心のどこかでジャッジ(判断)していたため、
相手からも同じ仕打ちをされて、本当の友情とは程遠い関係だったり。
あなたがアタマでは望む現実はこれではない!とどんなに思っていても、
潜在意識の奥で深く信じ込んでいる観念はあなたに、その通りの世界を
「はいどうぞ!」って見せてきます。
つまり、見たい世界、体験したい現実は、あなたが設定しているんです。
認めたくないのはわかりますが、私は実際その設定を変えるのに結構な時間を費やしてきましたので、
そして設定が変わった後の現実が本当に別世界なので、
これは真実なんだとはっきり言えます。
波動やエネルギーでも説明できるし、潜在意識という強いナビゲーションシステムとしてもその仕組みは明らかです。
こちらの記事で人生のCore Valueについて書きましたが、なぜこれを自分で見出して人生のテーマとして掲げることを推奨するかというと、
意識を向ける価値観や観念、思い込みが、あなたの人生のナビに設定されてしまうからなんです。
あなたは、どんなことを大切にして、どんな世界を見たいですか?
ナビの設定(潜在意識)を変えるには
私はいらない観念の手放しと、本当に望むことを新たなものとして信じるプロセスに、結構な時間をかけました。
そもそも、一瞬で変われるものではなく、時間がかかるものなんです。
なぜって、新しい観念をちゃんと信じられるようになるまでも通常は時間を要する上に、
古い観念は、手放しても手放しても、何度も戻ってきてしまうくらい、根深く強いものもあるからです。
でも実は、新しい観念を「得る」こと自体は、一瞬でできてしまいます。
それは、あなたがこんなことってあるんだ!!!と心から感動するようなことだったり、
良い意味での衝撃を受けることを体験することで、その観念はあなたの中にちゃんと入って存在するようになります。
たとえば、私の場合はイタリアへ渡って環境を変え、人間関係を変えたことで、
古い思い込みを繰り返し考えることのない状況に自分を置いて、
そして、新しい人間関係の中でたくさん、人の愛と優しさに触れたことでそれは起きました。
そう、涙するくらい感動することや、それまでの狭い考えや思い込みをくつがえすような体験が、最も手っ取り早く古い観念を手放して新しいものに置き換える方法です。
イタリアで出会った新しい友人たちと、私は素晴らしい時間を共に過ごし、たとえ短くても心が震えるほどの優しさに触れて、
私という人間を大切に扱って信頼してくれる彼らに見合う自分でありたい、と本気で思うようになりました。
そうしてしっかり新しい観念「自分は愛されるに値する」というものを自分の中にちゃんとインストールして日本に帰国したのですが、
そうするとまた、以前の観念によって設定された現実が、再び目の前にやってくるという現象が起きます。
いわゆる「揺り戻し」なのですが、ここで踏ん張って、自分はその古い観念を選択しない、という決意を毎回行動として表していくという、かなりハードなエクササイズのようなものをさせられたりしました。
そして観念を本当に望むものに変えていくときに最も大切なことが、
この「揺り戻し」期をいかに自分に寄り添い、信頼し、本当に望むものを強い意志で選択し続けるか、なのです。
繰り返し何度も、自分と対話しながら行う必要があります。
潜在意識にとっては、慣れている思考や考え方が楽だし、ある意味努力せず一緒にいられるので、
ついそっちを選んでしまうのですね。
よく、◯◯したらどうしよう、という意識は、現実をそっちに向かわせると言いますが、これ本当なんです。
幸せな人たちというのは、なぜ幸せな現実を生きるかというと、
◯◯したら・・・・?の仮定すら潜在意識に設定しないからなんです!
彼らはいつも、意識を幸せの方にフォーカスする達人なのです。
もちろん、理性や合理性ももちあわせることで、たとえば今の現状ならコロナ感染の対策は普通にします。
が、必要以上には心配はしません。
心配したところで、それが正しいリスクヘッジになるということよりも(実際、心配したところで状況はたいてい良くなりません)
重要なことは、体験したい現実が
コロナ感染が蔓延して恐ろしい世界か、
そうではなく、平和で安全で心地よい世界なのか?
という選択に尽きると私は思いますが、皆さんはいかがでしょうか?
まとめ
最近私は、インスタやメールでイタリア時代の友人から連絡を立て続けにもらいました。
アイルランド人、イギリス人、香港人、韓国人の彼らは、元気?!どうしてる?と声をかけてくれて、
チャットだけれど、いつでもまた昔のようにおしゃべりできます。
このコロナ禍が落ち着いて旅行が解禁となった暁には、ヨーロッパへ再び飛んで、彼らに会いに行きたい!と今改めて思っています💕
いつの間にか私のナビの設定は、過去にこうだったらいいな、とぼんやり望んでいたような、
「いろいろな国の人と繋がって、心の交流をする。みんなでこの世界が良くなるように願いながら、今この時を楽しむ」
というものに置き換わって、その通りの世界を見せてくれています。