先日、オリンピック・パラリンピックのクリエイティブディレクターによる、タレント渡辺直美さんの体型を侮辱する発言が問題になっていましたが、皆さんはどう受け取られましたか?
そして、それに対して出された渡辺直美さんのコメントが、素晴らしかったと思います。
「私はこの体型で幸せです」
その言葉こそが、この、時代錯誤で人としても価値観を疑う発言に対する最高の報復ではないかな、と個人的には思いました。
近年、ふくよかなモデルさんを起用する動きが世界的にムーブメントとなっていて、彼・彼女たちの自分を受け入れてポジティブに生きる姿勢がSNSなどでも多くの支持者を集めているそうです。
この動きは、「Body Positivety」と言われ、どんな体型の自分であっても、またその体型が社会的にどう判断されようとも肯定して受け入れるという考え方で、多くの人に勇気を与える動きですよね。
日本でもこの動きは出てきているようですが、私はいつも以前から、日本で売られている女性服などのサイズやバラエティの少なさに、自分に合わない・合うものが見つからない不便さと疑問を感じていました🙁
海外と比べると、日本はその島国という歴史や文化もあってか、価値観が統一されやすく、下手すると単一的になりやすい危険性があるように思います。
その意味で、今アメリカに拠点を移して活躍の場を広げている渡辺さんだからこそ、このような素敵なコメントを出せたのかも知れないです。
体型や年齢、ものごとに対しての考え方や感じ方、見方は本来ひとりひとり違うのですが、皆で共存していくためには共通の「スタンダード」な価値観とかルールって必要で、それを教え込まれるのがいわゆる教育です。
で、この教育を受ける過程の中で、傷ついたり自信を失ったりした経験て誰しも少しはあると思うんです。
自分てここがおかしいんだ、ダメなんだ。
そう思って、自分をスタンダードに合わせようと頑張るんですね。
そして、そうできない人や、そうしない人のことを批判する目も育ちます。
だから、私たちが思い込まされている良い・悪いの価値観ていうのは、ほとんどが他人や社会から植え付けられたものの可能性が高くて、本当に自分のものかどうかって、もはやわからない人って多いと思います。
そして、そうしないと社会性という面ではまずいことにもなりかねなかったわけだから、それがいけないことだとは思いません。
でも、そこで、果たして自分は本当のところ、どう思うんだろう?とか、
これはもう自分には合わない、とか
人からはなかなか理解されないけれど、自分は心からこれがやりたいからその道を進む、
とつねに自分に立ち返ることができるって、私たちがもともともつ強さだと思います。
そして、合わないものに自分を合わせて進んできてしまったことに気づいたら、そこでもう合わせていくのをやめるとか、本当に自分に合うものに、たとえそれが世間の「スタンダード」からはズレていても進むことを決めるということは、
自分を大切にするという強さがなせることなんです。
人と違うこと、変だと思われることを怖れない!
これからの時代は、個性の時代と言われています。
個性とは、もともと違って生まれてきている私たちの感性や特性をプラスに見た時に、輝くものです。
それはときに既成の価値観や、今までずっと当たり前に信じ込まされてきたものごとの基準に対して、素直に疑問に思ってみるとか、自分は違うけれどこれでいい!という意思の表明から生まれるものかも知れません。
私も以前は結構アウトローを地で行っていたので、時代性もあって、周りの人から理解されないことも多かったです。
みんながいいということやものに対して、乗り切れない自分がいて、若さ特有の反発心もあったのだと思います。
でも以前の、私が若かった頃の時代は、社会から変な人、というレッテルを貼られることは個性を直接売りにできる芸能人や芸術家など以外では致命的なことでした。
学校でも会社でも、どれだけ皆から認められて賞賛されるか、賞賛はされないまでも受け入れられるか、が人生の良し悪しを決めるものだと言ってもいいくらい。
ですがこれからは、自分を素直に表現して、それが時には社会の価値観に反するものだったとしても、自分はこう、と言える人が多くの共感を得る時代になるのではないかな、と思います。
たとえそれがマイノリティの立場であったとしても、同じように思って賛同してくれる人は必ず一人はいるはずだから。
なぜなら私たちは奥深いところでは繋がっているからです。
あなたがそう思うということは、他にも思っている人がいるからそう思うんです。
そして、そのような思いを今はインターネット上で自由に発信できる時代です。
これからは、人が決めた価値観に従う人よりも、自分というものを探り尽くして、内側から新しい価値観を見出せる人、そんな人が多くの人のほんとうの思いの代弁者になるのだと思います。
まとめ
皆が良いとする基準に合わせていれば幸せになれて、人気者になれて、愛される。
そう思っている限りは、ほんとうの自分には出会えません。
どんな自分も愛するということ。
それは、誰かが決めた基準に合うとか、人から好かれるために自分に課している基準とは別に、深いところではどんな自分も受け入れているということ。
自分が自分を愛するのに、いっさいの条件を付けないということです。
これは、どんなに人から理解されなくても、自分だけは自分の味方でい続ける、という強さをもつということとイコールです。
よく考えたら、これができずして、他人をほんとうに愛することはできないですよね。
そしてほんとうに自分を愛せていると、社会性やマナー、様々な基準にすべて反発する必要もなくなり、合わせる部分とそうでない部分、しっかり自分の中での心地良さの基準を見出していけるようになります。
私も最近はいろいろなことへの反抗心、反発心は昔ほどなくなりました!