健康には何を食べるかよりも、思考が大事な理由

最近は様々な情報がインターネット上で好きなだけ検索できるので、以前では知り得なかったことまでわかってしまう時代です。

例えば、食の問題。

輸入小麦粉がどのように生産されているのか。低コスト大量生産の裏に潜む生産過程で行われていることだったり、そこにあるリスクなど。

以前、あの高級食材フォアグラがどのようにできるかというビデオをYoutubeで見つけて衝撃を受けたことがありますが、映像は胸に訴えてくるものがありました。

イタリアで出会った、中国の裕福な家庭出身で良家のお嬢様である友人は、健康上の理由ではなく、動物屠殺に対する抗議の気持ちから、お肉はいっさい口にしないと決めていました。

まだ20代前半でとても聡明で美しい女の子でしたが、彼女から強い意志を感じました。

私の周りのヨガ関係のお仕事をしている方には、それぞれの理由でベジタリアンだったり、ビーガンだったり、食に対する信条をもっている人たちが結構います。

そして、最近は先の小麦粉含め、アレルギーに悩んでいる人も少なくないですよね。

食に対するスタイルというのは、その人の文化や信条、家庭にまつわる思い出、体質や健康上の問題に加えて様々な事柄が関係していて、とてもセンシティブで、簡単に良い悪いの判断をするべきものではないと思います。

そして私自身は、もともと体質的にも食アレルギーなどの問題に悩まされたことがないこともあり、こだわりはほぼ無く、今後もベジタリアンなどのある特定のスタイルを実践する予定はないです。

そして、どんなスタイルをもっている人も尊重したいと考えていますが、個人的には何を食べて何を食べないか、ということはよほどの偏りがなければ、それほど健康に害を与えるものではないのではないか、と思っています。

そして、どちらかというと雑食、いろいろなものを食べた方が、偏って同じものばかりを食べるスタイルよりも自然にバランスは取りやすいのではないかな、と思っています。

食べたいものは身体が知っている

私はマインドフルネス関連の講座などでいつも、自分自身と繋がることの大切さや、心身の声を聴くことの重要性を伝えていますが、食に関しても同じだと思っています。

健康とは、それを目的にして様々に取り組んで目指すものというよりも、自分に心地良く生活を整えると、自然に得られるものだというのが私の考えです。

つまり、心地良さを追求するから、食べたいものや食べたくないものが自然とわかってくるのです。

それは、知識で学んで体に良いから、悪いから、という理由で色々とルールを作っていくこととは違います。

むしろ、健康になるとルールから解放されるということも多く起きてくると思っています。

いつもはあまりお肉は食べないけれども、今日はなぜかステーキが食べたい!
とか、

食べすぎると体に良くないのはわかっているけれど、今マックが食べたい!
とか、

昨日ご馳走をたくさん食べて、今日はまったくお腹が空かないからフルーツと野菜スープだけ口にしよう!
とか、

たくさん調べ物して仕事も頑張ったら、無性に甘いものが食べたくなってきた・・・今日は美味しいケーキでリラックスタイムしよう🥰
とか(笑)。

いいと思っています。
あなたがちゃんと自分と繋がっていて、身体の声が聴けているのなら。

そして、心身のバランスを常にメンテナンスして整えていると、たまにこのような食を取り入れたとしても、過剰になることはないと思いますし、そこもちゃんと身体はバランスを取るために教えてくれると感じています。

また、どんな食材も、食べて害になるだけというものはないのではないかと思っているので(もちろん、きちんとした管理過程を経て市販されているものという意味です)、お砂糖も油も、お肉も、コーヒーも、適量であれば必要な栄養素としての機能もあると思っています。

健康のベースになるのは思考

思考にはものすごいパワーとエネルギーの質の源になって、いわゆる波動を決める要素があります。

そして私は、この思考のパワーというものが、その人のエネルギーの質を決めると思っているので、それは何を食べるか?よりももしかしたら強力なのではないかとすら思っています。

もちろん、食べ物にも波動があるし、良い食べ物は良い波動に包まれて生産されてきたというのがわかります。
逆もそうですよね。

なので、良い波動の食べ物を食べると幸せな気持ちになる、というのはあると思います。

ただ、だからと言って、いわゆるジャンクフードだったり、波動の低い食べ物を食べていると必ずしもその人が不幸になるか?というと違うと思います。

家族や友人で楽しく食べる食事の時間というものは、何を食べても美味しいし、幸せになるものです
お酒も、カロリーの高いチーズやお肉も私は大好きですが、なぜ好きかというと、やっぱり幸せな感情とリンクしているからだと思います。

そして、逆に言えば、どんなに健康に良いとされる食を毎日摂っていても、そこにたくさんの否定の感情だったり、「〜ねばならない」というこだわりや執着があると、どうでしょうか?

私たちの身体は無機質なものではないからこそ、この栄養素を取り込めばこうなって、これを排除するとこうなる、という計算だけで機能しているものではないと思うのです。

そしてそれ以上に、食事とリンクしている感情と思考が幸せかどうか?心地よいかどうか?感謝の気持ちに溢れているかどうか?が大切で、それらを私たちの細胞は敏感に吸収しているのではないかと思っています。

まとめ

情報に溢れている時代だからこそ、個人の選択は以前より複雑で難しくなってきています。

そんな中、食に対して思うことを今日は書いてみました。

あと、私は若い頃から海外への旅行が大好きで結構安いバックパッカーとか泊まり歩いた経験もあるので、その経験からなのですが、「食べることは生きること」でもあるので、キレイごとではなく「今これを食べないと明日の活力が充電できない」状況ってあると思うんです(別に内戦地帯とかに行ったわけではないですが・・・😅)。

つまり、状況によっては、出されたものは有り難くいただくしかない時もあるわけで、その意味では、ある程度なんでも食べられる、感謝して美味しく頂く精神はとても大切だと思っているんです
たとえそれが、どこで買ったのかわからないミートでできたハンバーガーだったとしても。。。

もちろん、日々の食をどのようなスタイルや信条で管理するかは、それぞれの選択です。

そして、その選択の基準となる思考がどのようなものであるか?が、実は最も大切なのではないかと思っています。




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