私は「頑張る」という言葉があまり好きではありません。
これは結構昔からで、何かのたびに
「頑張ります!」と言うことで周囲が納得したりすることも、
また、本心は「何を頑張るんだろう?」と思っていることでも、とりあえずその場はしのいでいるような自分の感覚にも、違和感を感じていたからだと思います。
また、「そこ、頑張る必要あるかな?」みたいなところでやたら気合いを入れたがる人や、もっと効率的で合理的なやり方があるのに、非効率で時間がかかることに労力とエネルギーを注がせるような、
そんな意味不明の頑張りに対しては、割と若い頃から反発心丸出していた頃もありました。
でも、最近は、この「頑張ります」と言う言葉のもつポジティブな感覚にも気づいていて、
「頑張れ!」と応援する場合などにとっても、言う側にとっても
要は、そのときのベストでやりきる、最大限の力を出して最善を尽くす
という意味で言っていたりもするので、そんな場合には違和感なく、すっと言ったり受け止めたりできるようになってきています。
また、その背景には、私が所属させて頂いているビジネスのコミュニティでの
圧倒的に成果を出す人たち
の考え方やあり方、行動力を目の当たりにしてきているから、と言うのもあると思います。
このように、そのときの自分のベストを尽くしていく、ということをやり続けていくと、あるときにその時点での限界値を超えるということが起こります。
でもこれは、「ここまでが限界」というのを意識して、そこからは出ない自分で居続けてしまうと決して起こらないことでもあります。
この限界の枠の中のことを、「コンフォートゾーン」と呼んだりします。
英語でConfort(心地よさ)を表す言葉で、ストレスなく無理なくいられる範囲を示すのですが、その大きさには個人差があるわけです。
人が成長していく時には、このコンフォートゾーンの限界を押し広げることと、そこから出てみることが必要となります。
必要なときに自分を追い込むことができる人が、限界を超える
「頑張る」という言葉の定義を、
自分がやると決めたことで、ベストを尽くしてやり切ること
とした場合、これができるかどうかで、取り組んでいることの結果・成果だけでなく、自己イメージや自己肯定感、そして人生の充実度が違ってきます。
でもそのときに心に留めておきたいこととして、
すべてに対して頑張るのではなく、「頑張る対象」のことがらは、その時点での最小限に絞り込んでいくことがとても重要
ということがあります。
理由はとてもシンプルで、あれもこれも、なんでもかんでもに全力を注いでいたら、それはもちろん自分の体力・気力・時間すべてにおいてショートしてしまって、とくに気力や体力においては電池切れとなってしまいかねないからです。
私が嫌いだった「意味のない頑張り」というものには、このような、やっていても効果が薄くなってしまうような状態、つまり、体力も気力もショートしているのにダラダラと時間をかけてやっているような状態・・・
こんな状態のことも、世の中では「頑張ってる」と言ったりしますよね💦
これは、頑張っているのではなくて、心と体を無駄に疲弊させているだけだし、もちろん時間も無駄にしてしまっています。
だから、ダラダラ残業も、ダラダラ学習も、ダラダラやっているけれど、そこに注がれているエネルギーが低い(つまり元気がない)状態は、昔から好きではありませんでした。
この場合はすぐに止めて気分を変えることをするか、一度思い切り休んでみる方が、その後のパフォーマンスが格段に変わってきたりします。
また、集中すべきこと、やることが絞りきれていないことも原因だったりするので、自分の生活から一度見直して、「今日集中すべきこと」を明確にする。そのときに、それ以外のことは一旦わきに置く潔さがもてることも、大事だと思います。
これらのことにまず取り組んだ上でなんです。
本気の頑張りを発揮できる状態というのは、そこから、さらに自分に少しずつ負荷をかけていきます。
実は、この時の負荷のかけ方も、上手い人と下手な人がいます。
まず、下手な人というのは、一気に負荷をかけるということをやりがちです。
その結果、メンタルの方がまず潰れてしまって、それが体調やその他のことにも影響してしまい、「ベストを尽くす」状態からはほど遠くなってしまう。
完璧主義者に多いケースです。
では、自分への負荷の掛け方が上手い人には、どんな特徴があるのでしょうか?
それは、ズバリひとことで言うなら「成長する自分を楽しんでいる」です。
私が見てきた、自分の限界を押し広げながら成長し続ける人たちには、みなこの特徴がありました。
そして、未来の自分、成長して今できないことができるようになっている自分を確信レベルで信じているので、負荷をかけることに迷いがないし、また、そのかけ方もかろやかで重たくはありません。
まるで、自分というキャラを成長させるゲームを楽しんでいるかのように、時にはやり方を変えてみたり、休んでみたり。
またあるときは刺激を受ける人から学んだりし続けながら、自分のコンフォートゾーンを押し広げていき、最終的にはそこを飛び越える瞬間も起こってきます。
最近私は、このような人たちに多く囲まれていることもあり、とても刺激を受けるのですが、彼らに共通の特徴には、次のようなものがあります。
- 明確な目標を掲げている
- 自分の理想像や理想の生活を明確にイメージできている。
- 失敗からつねに学び、自分のやり方や向き合い方を改善し続ける
- 考え方に適度なゆるさをもっていて、「必死さ」が伝わってこない
- 穏やかで優しく、かつエネルギッシュで「与える精神」の塊
- めちゃくちゃ忙しいのに、旅行したり、美味しいものを食べに行ったり、時間の使い方が上手
- 掲げた目標以上の圧倒的な成果を出して、目標値がどんどん進化しながら自分の限界を越え続けている
- 心も体もいつも元気!で、弱音や愚痴を言う姿を見せない(でも自然体)
- 人生を楽しんでいる!
ざっとこんな感じです。
「与える精神の塊」という箇所は特にポイントで、彼らは本当に、人に与えることで自分も学ぶということを知っているだけでなく実践しているので、まさに「多くを与えながら多くを得ている」姿を目の当たりで見せてくれる存在だったりします。
まとめ
私自身も、日々このような方々の言葉や考え方に触れさせて頂いていることもあり、最近かなり、上記のような要素が自分にも強まってきたかな、と実感しています。
この中のひとりの方から言われた言葉が
「限界を超える直前はつらいんだけど、越えちゃったら楽しくなるんだよね〜!」
というもので、「なるほど〜!」と思ったわけです。
そうなんです、どんなことも、「夜明け前が一番暗い」のは一緒で、つらいときというのは、逆に言えば次にやってくるのは夜明けだということ。
だから、そこで諦めて、惰性の中に身を置いてしまうのか、自分を信じて負荷をかけられるのか、でその先も違ってくるのは、ひとつひとつ、小さなことから経験した人はみんなこの感覚を知っていくわけです。
さて、皆さんは、いま良い意味で頑張れていますか?
やると決めたことに、自分のベストを尽くしてやりきれているでしょうか?
もちろん、「やり切れる自分」でいるための土台は、心のあり方(マインド)にありますので、そこをまずはしっかり安定させることが先になります✨
1日にひとつでも、コンフォートゾーンから出る勇気と冒険心をもって生きてみる。
そうすると、凝り固まっていた視点から解放されて、また勝手に自分で決めてしまっていた限界は、意外に簡単に、ひょいっと超えることができることも、感覚としてわかってくるのではないかと思います❣️