できる!脳の作り方

あるインターネットのサイトによると、外国語を話す人の性格には少なからず共通の特徴があるようです。

その中でも興味深いのが、「完璧主義でない」ということ。

これは、これまで5つの外国語を勉強したことがあり、一時は英語とイタリア語とフランス語で会話できていた私自身がその通り当てはまるのと、

また、本当に完璧主義は語学を身につけるときの邪魔以外の何ものでもない!と確信しているので、今日はこのことについて書いてみようと思います😊

なぜ、完璧主義でいると外国語が身につきにくいのか?

英語を例にとれば、日本人の英語力を見てもそれはある程度説明がつくのではないかな、と思うのですが、その理由はズバリ、

語学というのは失敗しながら身につけていくものだからです!

そして、間違えることを恐れてアウトプットをしない=練習の機会の喪失につながるということ。

また、それだけでなく、完璧主義の罠というものが、人との心の触れ合いである、コミュニケーションの質にも影響を及ぼすため、英語などの外国語を身につけていく時には、早く「完璧主義を手放す」ことがポイントになってきます。

完璧主義であることと、集中力があることの違い

その教育のあり方や、伝統的な考え方によるものかもしれませんが、日本人の多くの方は、完璧であることと集中力を結びつけているように思いますが、私はこの両者は全く別の能力だと思っています。

たとえば、私も子供の頃、先生や親から言われた気がするのですが、「しっかり集中すれば間違えない」、「集中力が欠けているからケアレスミスをする」などという考え方があったように思います。

そして、学校の試験と呼ばれるものを受ける中学から高校くらいになると、テストで高い点数を取るには完璧主義でいないと到底無理な内容(=ひっかけ問題が多く、よ〜く注意して取り組まないと間違える)で訓練されたようにも記憶しています。

一方で、集中力とはなんでしょうか?

それは言い換えれば、優先順位がつけられて、「今大切なことだけに意識を向けることができる」能力と言えます。

つまり、今大切なこと以外は、いったんわきに置いて放置できる能力、とも言えるわけです。

そして、この集中力というものは、英語などの語学力を身につける時にも、またもちろんそれ以外のことがらにおいてもとっても重要になってきます。

たとえば、何かを身につけていくときというのは、まずは基本をしっかり学ぶことが大事で、その基本の要素一つ一つの確かさが土台となって、その上に積み上げる応用力を決めていくわけです。

英語であれば、発音やイントネーション、リズムなどの音に関する能力は、そのままリスニング力に通じます。

これは、ちょこっとやっただけで身につくものではなく、一定期間何度もしつこいくらいに練習することによって体に覚え込ませる必要があります。

つまり、集中して身につける必要があるのです。

また、音に関する能力とは別に、言いたいことを伝える力、つまり英語で文章を作ったり、そこにニュアンスや様々な感情表現なども含めた表現力も必要です。

これには、文法が基礎となって、英語の文章を作るときのルールが脳にしみついていること、日本語を介さずに英語で考える力も関連してきます。

このように、英語を総合的に使えるようになるというのは、ただ聞き取れる、読んで理解できる、英会話ができる、文章が書ける、という個々の能力だけでなく、これらを組み合わせて使える総合運用力が必要になってくるわけです。

そして、こういった様々な能力に対して初めから「完璧さ」を意識してしまうと、何から始めていいかもわからなくなり、もうその先にまったく進めない!ということが起きてくるわけです。

完璧主義を手放すといいことがたくさん!

何かを身につけるときには、基礎をまず作り、その上に積み木を積み重ねるようにいろいろな能力を肉付けしていくプロセスは同じです。

その時に、例えば基礎が100%の精度で出来上がっていないと応用に行けないかというと、そんなことはないのです。

英語の基礎といえば、中学英語ですが、中学英語さえだいたいわかっていればなんとかなる、というのは基礎の中でも60~70%の精度を目指す、くらいの感覚でいいと思います。

そして、そのくらいの基礎を固めてから、応用に進みますが、もちろん、「間違える」ということ自体が上達のためのアクションになっていきます。

で、この間違えながら練習していく時に、ぜひ身につけておきたいのが加点方式の考え方。

間違えたからダメ、失敗なのではなく、間違えたことによって学んだことを最終的にプラスオンすればいい話ですので、間違えれば間違えるほど、英語の理解力のスコアは増えていくわけです。

これに対し、完璧主義というのは減点方式以外の何ものでもありませんね。

そもそも、特に、人と人との間で使われる言葉である外国語に完璧主義を持ち込むこと自体に無理があるのであって、特に様々な国や人種の人たちが話す英語で、「完璧でないと理解できない」状態を目指すことは、英語の本当の理解力も、そしてそれを使う喜びも失うことになりかねません。

以前、ノンネイティブ(英語を母国語としない英語話者)の人の英語には触れたくない、と言っている知人がいましたが、私はこの考えは上記の理由で、とってもナンセンス(意味がない)と思っています。

まとめ

実際に、外国語を話す人の脳の傾向というものがあるらしく、柔軟性が高く脳も若い傾向にあるそうです。

参考までに、こちらの記事が興味深かったので、お時間ある時に読んでみてください。

完璧主義でいるということは、相手にもそれを無意識に求めるということに繋がり、自分と周囲の人、両方を苦しめる可能性があるので、様々な意味で早く手放した方が良いと私は思っています。

まして、英語のような言葉はコミュニケーションのツールです。

相手の言葉が拙くても想像して理解しようとする共感力や推測力、多少わからない単語があっても、間違えてでも伝えようとする伝達力こそが、コミュニケーション力の根幹だと思うので、

語学によって完璧主義から離れる時、あなたの脳には新しい分野が開拓できている!そんなイメージをもっていただければと思います😊




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